“グローバリズム”は“善”か“悪”か!!


“グローバリズム”という言葉は響きがよく、多くの人はこれからの世界の経済活動は“グローバリズム”の世界で行われる必要があり、日本もそれに乗り遅れてはいけない、というように思っておられる人が多いと思います。

しかし、“グローバリズム”が何を意味しているのか、十分に理解しないで、感覚的に“良い制度、仕組み”と考えておられる人が多いのではないかと思います。

曰く、“グローバリズムの体制下では国境を越えて世界が自由に経済活動を行うことができ、最適な国、地域で生産を行い、最も高く売れる国、地域に生産した品物を販売することができるので、利益の最大化ができる”、“ヒト、モノ、お金”が自由に国境を越えて移動できるので、人の往来は盛んになり、世界経済は活性化する”云々。

そうです。経済学的に“グローバル経済社会”と言えば、“ヒト、モノ、お金”が国境を越えて自由に移動できる社会、制度、体制のことを言い、地球規模で経済活動が何らの制約もなく行われる経済社会を指します。

ここで、皆さんは“オヤ”と思われるかもしれません。“アメリカもイギリスも中国も、ロシアも、その他多くの国情が違った国々が入り混じって“ヒト、モノ、お金”が国境を越えて自由に移動出来て本当に良いの?“、”問題は起きないの?“ということではないかと思います。

世界の国々は自由民主主義の国、共産主義の国、独裁主義的な国、王政の国など、その主義・主張する所に大きな違いがあり、憲法、法律の内容も千差万別、そうした所に“ヒト、モノ、お金”が自由に移動できるように経済の仕組みが変更されたらどうなることでしょう。

当然国力差により為替レートで通貨高にある国、そして人件費、資本コストが高い国の企業は、通貨安にある国、そして人件費、資本コストの低い国へ“ヒト(従業員など)、モノ(工場など)、お金(設備投資資金など)”を移動させ、生産を海外(国外)で行うことにより、“グローバリズム”の自由貿易で企業は利益を上げることができるかもしれませんが、これまで国内で働いていた人は解雇され、利益は出なくなります。

つまり、企業は良いかもしれませんが、国は貧しくなることを意味し、とりわけ主要産業が海外に移転する場合、国の存立が危うくなります。

 グローバル社会での取引が主義・主張を同じくする、例えば自由民主主義諸国同士であれば、価値観、道義もほぼ同じであり、“グローバリズム”を規制する“約束事”も守られますが、共産主義、独裁主義的な国の場合には、自由民主主義諸国間で決められた“約束事”が守られる保証はありません。

 そして国内法を新設することによって、貿易ルール、投資ルールなどを骨抜きにして、自国の主義・主張を貫徹させる新ルールを作り上げることにもなります。

 問題は経済問題だけではなく、富の移転によって得た新興国の国力の増進は、主義・主張の異なる国々の主張を増大させ、過去、初期、自由民主主義諸国が広めた“国際秩序”は否定され、新たな“国際秩序”がもたらされることになります。その新たな“国際秩序”が、自由民主主義諸国が広めた“国際秩序”よりも優れたものであれば良いのですが、往々にして共産主義、独裁主義的な国の“国際秩序”は覇権主義を基礎としたものが多く、“グローバリズム”は覇権国から弱小国への“ヒト・モノ・お金”の移動となり、小国の覇権国への従属化、属国化に繋がっていく恐れがあるものになっています。

例えば、中国の「債務の罠」により2017年7月から99年間、スリランカのハンバントタ港は中国国有企業にリースされることが決まっています。ハンバントタ港のような事例があちこちに出てきており、中国の発展途上国向け融資は中国に有利な返済条件となる「秘密条項」を多く含んでおり、中国の経済成長が鈍化するなか、中国優位の融資契約は、「債務のワナ」に陥った途上国の債務返済を難しくしていると言われています。

 こうして日本は現在、過去30年に渡って大量の“ヒト(従業員など)、モノ(工場など)、お金(設備投資資金など)”を移動させ、海外生産を加速させることによって、国内の力は弱くなり、その結果、周辺国から多大な軍事的、経済的圧力を受けるようになっており、国として“グローバリズム”の問題を整理して、早急に国家政策を打ち出さなくてはならないと思うのですが、現在、日本の政府には“グローバリズム”の問題が見えていないようです。どの政権も“グローバリズム”を優先します。

 それよりも問題なのが、日本国と企業の得失は異なる所にあり、日本政府が日本国の効用最大化を目指し“グローバリズム”に歯止めをかけると、企業レベルでは日本国民のことは考えず、自らの収益極大化を図ればよいので、“グローバリズム”の歯止めには猛反発します。

 ここに、国家と一企業の確執が見られることになります。しかし、企業は国家の政策に従う必要があります。

 覇権国、中国の状況を見てみましょう。

鄧小平の改革開放後急成長した共産国“中国”を見るとき、従来中国に進出する場合、中国側が経営決定権を掌握するために中国で投資する場合、合弁企業(他に独資、合作、駐在員事務所)を形成し、その場合出資比率は中国51%以上、進出企業49%以下にすることとか、技術開示の強要(知的財産の無償開示)、千人計画、スパイ活動などで得た情報、技術を使い、廉価で同製品を、時によっては国家の支援を受けて圧倒的に廉価かつ大量に製造、販売する国策を見るとき、中国の自国市場を擁護する姿勢の中に、日本企業が永続して生き残る道は無いように思えます。

特に最近では、国防動員法(2010.7)・国家情報法(2017.6)に続き、2020年6月、香港に香港の言論の自由、司法制度、法律の保障、公平な裁判を無効にする“香港国家安全維持法”が成立施行され、行政区外の外国人にも国家安全維持法が適用されるとあり、全世界約80億人が対象となる暴法が作られた。

一企業として日本を飛び出し、例えば中国で利益を最大化しようとするとき、中国では多くの公安が目を光らせており、有らぬ疑いで検挙、長期の拘留という事例は枚挙に暇がないものとなっています。

“グローバリズム”の名のもとに、中国から大量の中国人が日本で生活しており、何か日中間で有事があれば“国防動員法”で、彼らは中国戦士として日本国内で活動することが求められています。

“グローバリズム”という言葉は、確かに魅惑的です。しかし、盲目的に“グローバリズム”という言葉を信じ、実行すると大きな禍根を残す結果になること、請け合いです。

日本政府の英断を待ちたいものです。

ところで、“グローバリズム”は未来永劫、日本にとって悪いものでしょうか。

 実は“グローバリズム”は経済を中心とした言葉であり、日本の経済力が極端に悪くなり、為替レートが極端に通貨安に動くとき、日本企業は海外から日本に生産拠点を移すことが考えられ、その意味では経済が活性化することが考えられます。しかし、その場合には“日本”とういう国が非常に“安価”になっており、“ヒト、モノ、お金”が体制を超えて自由に移動できる“グローバリズム”は、日本を他国に売り渡す、買収に屈することにも繋がるために、大きな問題を含むものになります。

 いずれにしても、体制を超えた“グローバリズム”は日本に良い影響を与えることは少なく、守るべきものは守る、グローバルに対応できるものは対応するという、しっかりした政策が政府には求められるものと思われます。

 “グローバリズム”は、使い方を誤ると大変なことになることを十分に自覚して、国策が決定され鵜ことが求められています。

 

 日本人の正しい行動が求められるものになっています。

 正しい企業を支援し、正しい政府の政策にはエールを送りましょう。


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