記憶の喪失 D1


 私がおぼろげながらに気が付いたのは、H病院からT病院へ転院する車の中だった。車の中には妻と娘がいるのが目で見てはいないけれど、その雰囲気で分かった。そのとき、周りの声から骨折の手術のための転院ということが分かった。しかし、痛みは全く感じない。車がT病院に向かって走り始めた。妻と娘に何か話しかけていたような気がするが、そのまま深い眠りへと落ちていった。

 そして気が付いたのは、T病院のベッドの中だった。
 寝返りを打とうとしたり、起き上がろうとすると腰に痛みが走ったが、寝ている分には痛みはなく、私は軽い傷で病院に入院したと思った。しかしその後、私は衝撃の事実を知らされることになる。

 私は車の衝突事故で膝の断裂、肺の出血、腰椎骨折などのために意識不明の重体で、H病院へ搬送されたことが分かった。H病院では肺への出血防止手術、そして腰椎骨折手術はT病院で施され、事故から16日間の意識不明、そしてT病院で12日間の意識不明があり、T病院の病院のベッドでハッキリと意識が回復したのは、実に約ひと月ぶりということが分かった。
 私は軽いケガどころか、非常に重いケガだったことが分かり、がくぜんとしながらも、周囲の多くの人が、とりわけ家族が心配をし、私のために祈り、多くの労力を割いてくれたことを病院の看護婦、家族の訪問で知ることができた。

 私には事故当時の記憶が全くない。なぜと言われても、無いものはない。事故当日の実に約半日の記憶がどこかに飛んでいってしまっている。不思議だ。こういうことがあるのだろうか、と疑問に思うが現実にわが身に起こったことを考えれば、否定することはできない。
 私の友はこういった。”三途の川を見たか”と。
 あいにく三途の川は見なかったが、暗闇の中を泳いでいたような気がする。
現実に私は記憶がなくなることを知った。これまでは記憶がなくなることなど、全く信じることができなかったが、現に私は体験した。
 
 記憶の喪失、意識がなくなることは麻薬のようなものだ。一時(いっとき)痛さや辛さをすべて忘れさせてくれる。しかし意識が元に戻った時、空白の時間が過ぎたことで玉手箱を開けた浦島太郎になったような自分を意識することになる。

 今に思えば一生に一度の体験であると思うが、本当に不思議な体験だった。私の日常、人生はこれを機に、大きく変わることになった。

created by Rinker
¥616 (2024/09/08 13:55:50時点 楽天市場調べ-詳細)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です