両親がいなくなって、改めて思うことがあります。それは幼いころの思い出で、両親には思い出を呼び覚ますときにはいつでも心にほのぼのとした安らぎを得ることができることに、深く感謝しています。
それと共に、今になって改めて両親のいない寂しさを味わっています。
母は遺伝性の糖尿病を患っており、それが原因かは分かりませんが大腸がんになって他界しました。
私は幼い時から草餅が好きで、よく母に作ってもらっていたのですが、いつの間にか季節がくると手に剃刀風のナイフを持ち、自分でヨモギを摘み、ヨモギで籠を一杯にして帰ったものでした。
そして、これもいつの頃か忘れましたが、ヨモギを茹でる時にはヨモギを柔らかくすために重曹を入れて茹でることを教えられました。
餅つき機に入れてよもぎ餅を作った後、粒餡、こし餡をお餅の周りに着けた“あんころ餅”、餡をお餅の中に入れた“大福餅”を作ってもらいました。自分も見よう見まねで作っていましたが、形が不揃いで不格好だったのをよく覚えています。母の作る“餅”はいつもどれも形がよく、とても美味しかったのを覚えています。
母と過ごした“よもぎ餅”を作る時のあの楽しさは、今になって思えば何と素敵なことだったのだろうかと、今更ながらに感心します。もしもあの頃にもう一度帰ることができるなら、どんな犠牲を払ってでも帰りたいと思います。
今でも驚きの巻きずしを思い出します。母が少し細めの巻きずしを作っていました。私は食べることが大好きな子供でしたから、母の傍について、いちいち見ていました。でもその時はいつもの巻きずしとは少し、どこか違うという感じでした。
母に尋ねます。“お母さん、この巻きずし、少し小さいようだね”
母は答えます。“いや、これでも少し太めかもしれない。”
私は思います。“フーン!!”
としばらくして母が巻き簾の上に海苔を置き、酢飯を広げ始めました。次はどんな具を入れて巻くのかなと思って見ていると、その上に先ほど作った巻きずしを3本乗せて、それを巻き始めました。
私はやっと母の考えが分かりました。
3本の巻きずしが、1本の巻きずしになってしまいました。でもその太さは通常の太巻き寿司の約1.5倍ほどの太い巻きずしなっており、切った断面には、大きな巻きずしの中に、3つの巻きずしが並んだお化け巻きずしで、何か面白い芸術品を見ているようでした。
母は、果実酒、果実ジュースを作るのが好きでした。
梅酒は梅と氷砂糖、ホワイトリカーを用意して作りますが、桃のとろりとした感じが好きだったみたいで、日本酒と桃をブレンドした果実酒も作っていました。
梅ジュースは梅とお酢と氷砂糖で作りますが、ホワイトリカーの代わりにお酢を使うだけですから、私でも簡単にできます。お酢は基本、リンゴ酢が良いかもしれません。
そして母は梅ジュースの残り“梅”で、“梅ジャム”を作っていました。梅ジュースの残り“梅”はとても柔らかくなっており、そのまま取り出してすぐにジャムにすることができます。水分を少なくすることから弱火にかけますが、好みに合わせて水分加減をする必要があるかもしれません。人によっては少々砂糖を追加される方もあるかもしれませんが、母は何も追加することなく、水分調節のみでジャムを作っていました。
母の思い出を思い出せば限りがありませんが、その思い出一つ一つが何と宝石のように輝いていることでしょう。
これらの思い出が、私が悲しい時、落ち込むときがあった時、また失敗して時などに慰めの宝石、勇気を奮い起してくれるエメラルドとなって私を支えてくれました。
家族旅行である名山にいったとき、家で用意し、家族で食べた昼食は忘れられない思い出となって私の脳裏に焼きついています。
父は私と妹の2人をおぶった写真を撮りました。私が最初におぶさって、その私の上に妹が重なり、団子のようになりながら写真を撮りました。
あの家族団らん、そよ風が吹いていた快晴の山麓、あの思い出は私に父母の愛を深く感じさせるものでした。
全てが今となっては遠い過去の話になってしまいましたが、しかしその記憶は時間をおかず、瞬時に私の脳裏に浮かんできます、
子供が親の下に帰るのは、幼い頃の思い出が帰巣本能となって甦るからではないでしょうか。良い家族の思い出を子供が体現すること、これこそが子供たちが将来を力強く生き抜く力になることを実感しています。
多くの人が言い残しています。
“もっと両親が元気なときに、親孝行をしておけばよかった。親孝行したいときには親はなし”と。
今年も母の日、父の日がやってきます。両親のいなくなった今、私はどうしようかと迷っています。
ところで、母の日、父の日のいわれをご存知でしょうか。
【母の日】
母の日が誕生したのは1905年のアメリカで、アンナ・ジャービスという女性が5月に亡くなったのをきっかけに、彼女の娘が支援者と協力して母親に感謝を伝える運動を広め始めたのが、母の日が誕生するきっかけになったそうです。
1914年にウィルソン大統領が国民の祝日として制定し、5月の第2日曜日が母の日となりました。
日本では大正時代に母の日が導入されはじめ、第二次世界大戦後にかけて徐々に広まりました。
【父の日】
父の日は、ソノラ・スマート・ドットという女性が1900年代初頭、男手ひとつで彼女を含む6人の子どもたちを育て上げた父に対して、既にあった母の日同様に父に感謝の気持ちを伝える日を作ってほしいとアメリカの牧師に嘆願し、アメリカでは1972年に正式に6月の第3日曜日が「父の日」として、日本では1980年代に入ってから6月の第3日曜日が父の日として認知されるようになりました。
決めました。母への感謝の気持ちを妻に受け取ってもらうことにします。妻に“母の日プレゼント”をします。母の日プレゼントもどきになってしまうかもしれませんが、サプライズプレゼントも良いものかもしれません。
日ごろの働きに感謝を込めて、“母の日サプライズプレゼント”をします。
両親の命日、父の日、母の日が近づいてくるとき、過ぎ去った宝石のような思い出に私は心を留め、深く感謝の念をこれからも亡き両親に捧げたいと思います。