スタグフレーションの足音が聞こえる!!


 最近のメディアを見ていると、円安報道が続いています。その内容は、円安が日本経済を悪化させるとう論調で、日銀の金融緩和措置を修正しなければならないという趣旨の論説も見え隠れしています。

 ちょっとメディアの標語を抜き出してみたいと思います。

 2022年3月30日;円安悪循環警戒強まる。一時125円台、理論値も急低下。経済政策の転機に。

  日銀、円と金利で板挟み。市場に為替介入観測も。

 2022年4月6日;円、ルーブルに次ぐ弱さ。下落率5.7%主要国通貨で安全資産の地位揺らぐ。

 2022年4月14日;円、20年ぶり安値。一時126円台。資源高、資金流出続く

          円、1か月で8円下落、インフレ資金の流れ急変。金融緩和も円安に拍車。

 2022年4月16日;財務省、異例の「悪い円安」20年ぶり126円台、対策乏しく焦り

 2022年4月18日;20年ぶりの円安。黒田氏、2度目の試練

 2022年4月21日;金利上昇日本置き去り。米欧引締め新興国追随。「悪い円安」悩む日銀

         貿易赤字定着の懸念。2年ぶり転落5.3兆円。調達難・需要減、輸出拒む

        赤字国、通貨安リスク

2022年4月22日;緩和修正試される日銀。浮かぶ長期金利「上限上げ」 円安対処、副作用重く

       日本国債売り、傾く海外勢。日銀金融緩和、修正の思惑。

 ところで、為替変動ですが、昨今の論議は円安を嘆いていますが、日本の為替は昔から1ドル105~120円程度で推移していたのでしょうか。 表1をご覧ください。

表1 日本のGDP、為替の推移 

 1995年に米国クリントン大統領による円高政策により極端な円高になっていますが、2000年以降、為替はほぼ105~120円/ドルの範囲で推移しているのが分かります。

 というよりも、1971年のスミソニアン協定により、一旦為替レートを変更して固定相場制を維持しましたが、1973年に破綻して、変動為替相場制に移行しました。

 日本は1971年まで1ドル360円の固定相場制で動いていましたが、スミソニアン協定で1ドル308円に切り上げられ、1973の変動相場制への移行によって、さらに急激な円高が進行します。そして現在、1ドル120円台になり、円安に振れたということでおお騒ぎになっています。戦後、これだけの通貨高になった国は世界中を見渡しても日本以外には見当たりません。

 そして、この1ドル105~120円台になった2000~2020年間に、GDPはほとんど大きくなっていません。

 そして、この間に政府は緊縮財政を進め、消費税のアップを決め、需要を大きく抑え込みはじめました。

 まさしく、「供給があれば需要は伸びる」という、“セイの法則”を地で行く政策を推し進めることになります。この政策が2000年から数えれば、20年間絶えることなく続けられてきました。

  1914~1918年に渡る第一次世界大戦は日本に空前の戦時景気をもたらしましたが、戦後各国が生産基盤を回復するとともに戦時景気は一気に消失することになりました。その後は1923年9月の関東大震災、1927年の金融恐慌を経験しながらもインフラ・設備投資等で景気の後退・回復と景気は一進一退を繰り返していました。

 

 1929年(昭和4年)7月、立憲民政党の濱口内閣は経済面で「金解禁・緊縮財政・非募債と減債」を掲げ、そして日本をアジアの国際金融市場の中心とすることを夢にする井上準之助蔵相は緊縮財政を進める一方、金本位制への復帰、物価引き下げ策の実施、そして市場へのデフレ圧力による産業合理化を進めることで高コスト、高賃金の問題を解決しようとしました。

 日本政府は1929年11月に1930年1月11日をもって金解禁に踏み切る大蔵省令を公布し、それとともに、金解禁前の為替相場を、実勢1ドル=2.151円であったものを、生産性の低い不良企業の淘汰で日本経済の体質改善を図る意味を込めて、1ドル=2.006円と円高の旧平価解禁を実施しました。

 折しも、1929年10月24日、アメリカ合衆国のニューヨークウオール街で起こった株の大暴落は、世界恐慌となって世界を震撼させました。

 金解禁と円高政策による対外輸出の激減は相対的な輸入増加により正貨を海外に大量に流出する一方、1930年3月には鉄鋼、農産物等の商品市場の価格急落、次いで株式市場で株が暴落し、金融界を直撃することになりました。

 デフレの急伸により、経済規模は急速に収縮して国民の購買力は低下し、未曾有の景気後退に陥っていっていきました(昭和恐慌)。

 1931年12月、立憲政友会の犬養毅内閣の下、高橋是清蔵相は直ちに金輸出を再禁止し、「日本銀行が国債引き受けを行い、政府は日本銀行の国債引き受けから得た資金を使って財政支出を行い、経済を活性化する一方、日本銀行は景気が過熱する場合には国債引き受けで得た国債を売りオペして適正な金利水準を維持する」という政策を実行しました。

 この政策は民政党政権が行ってきたデフレ政策を180度転換するもので、こうした積極財政によって需要を創出し、それに伴う民間設備投資の拡大策に舵を切り直しました。

 その一方で金輸出再禁止措置によって円は急落することになりましたが、円安に助けられた企業は輸出を伸ばし、輸出の拡大とともに景気も回復し、1933年には他の主要国に先駆けて恐慌前の経済水準に回復することになりました。

 現在の円安で何が問題でしょうか。

 それは、円安は結果に過ぎず、本来は金融引き締めで欧米と足並みを揃えることが最善ですが、国債金利償還を考えると金融引き締めで高金利政策をとることができず、金利差が拡大し、結果として円安になり、輸入物価、輸入資材の高騰を招き、コストプッシュインフレーションをもたらすところに最大の問題があることになります。

 さらに問題なのは、大企業ならいざ知らず、多くの中小企業、第三次産業での賃金は抑制的であり、賃金が停滞、低下する傾向がある中で消費財の値段がアップすると、消費生活者は困窮することになります。

 すなわち、私たちが最も嫌う“スタグフレーション”の到来です。通常“スタグフレーション”は、「不況下の物価高」を言いますが、まさにその状況が日本に押し寄せようとしています。

 こうした現状に至った要因は何処にあるのでしょうか。

 メディアや報道に出てくるのは「日銀の金融緩和により金利アップができないから円安が進行するのだ」、と、日銀だけのせいにして、日銀が金融引き締め政策に転ずればすべて解決できるというような雰囲気が醸し出されています。

 果たしてそうでしょうか。高橋是清は金融政策と財政政策をセットで、設備投資拡大の方向に舵を進めました。今の日本はどうでしょうか。日銀は民間の設備投資がしやすいように、大量の資金を準備しています。

 しかし、肝心の財務省は緊縮財政を進めており、景気拡大のための財政支出をしていません。それは研究開発費、設備更新の公共事業、その他多くの投資をしなければならない所への投資がなされておらず、縮小化の方向に進んでいることから分かります。

 確かに高橋是清が行った金融政策は“財政ファイナンス”であり、現在先進国では“禁じ手”とされ、どこも行っていません。

 しかし、日銀の国債引き受けも現在日本を除いてどこも行っていない現状の中で、日本だけが大々的に行っていますが、この期に及んで「財政ファイナンスは国際的な禁じ手であるから、使ってはならない」と、どのような面を下げて言えましょうか。

 

 要は、現在の難局を切り抜ければ良いのであって、切り抜けられなければ、どんな綺麗ごとを言っても相手にされません。

 今日本は綺麗ごとを言う期間は過ぎました。現状を克服する政策を実行し、実績を積むことだけが残されています。

 今でも財務官僚は国家財政で歳入に対して歳出の大幅超過という現実を踏まて「緊縮財政」の手を緩めようとはしません。

 1929年(昭和4年)7月の憲民政党の濱口内閣が掲げた「金解禁・緊縮財政・非募債と減債」が失敗し、1931年12月、立憲政友会の犬養毅内閣の下、高橋是清蔵相が直ちに金輸出を再禁止し、民政党政権が行ってきたデフレ政策を180度転換した積極財政によって需要を創出し、それに伴う民間設備投資の拡大策で当時の難局を切り抜けた教訓を学んではいないのでしょうか。

 鄧小平が過日言われた「白猫であれ黒猫であれネズミをとるのが良い猫だ!」の言葉は重いです。では、この言葉をもじって言い直します。

財政ファイナンスをしようがすまいが、日本の経済を立て直す方法が良い方法だ

財政ファイナンスは多くの国で、財政規律を乱すから禁じ手のように言われていますが、使ったらいけないというものでもあません。

 今日本の経済を本当に立て直すことができる方法は何でしょう。

「鶏が先か、卵が先か」にちなんだ「需要が先か供給が先か」に対して「経済循環をよく理解し、『財政ファイナンスをしようがすまいが、日本の経済を立て直す方法が良い方法だ』の中で何を選択するか、よく考えることが求められています。

 今日本の一般の常識家は自分たちが学び、得た知識、常識から逸脱できていません。反対意見は声高に言えますが、では代替案があるかと言えば、ありません。それは、これまでの知識、学問の中には無いことが現実の世界で起こっているので、これまでの学問、知識に拘泥する場合には述べることができません。

 曰く、「政府と日銀は別会社であり、連結決済はできない」、曰く「財政ファイナンスは禁じ手であり、使うことはできない」云々。

 現在の日本の経済問題は、禁じ手も含めて、あらゆる選択肢から解決方法を考え、実践することが求められているものと思われます。

 スタグフレーションはすぐそこの「戸口」まで来ています。 

 勇気、決断、実行、この決定を勇気をもって実行できる“ひと”が、真に今の日本に必要な人材といえるのではないでしょうか。

 「高橋是清」の出現を待望する“一市民より”

 


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