財政・金融の分離独立政策から


 「セイの法則」をご存知でしょうか。ジャン=バティスト・セイは1767~1832年に活躍したフランスの経済学者ですが、「供給はそれ自身の需要を創造する」という「セイの法則」で知られています。

 現在でもこの法則が幅を利かしており、あちこちで歪を生じさせています。

 ところで、「供給はそれ自身の需要を創造する」という「セイの法則」が成立したとされる18~19世紀の当時のフランスにおける社会状況を見ておきたいと思います。

1789~1794年 フランス革命( – 1794年)。

1792年 フランスがオーストリアに宣戦布告しフランス革命戦争始まる。

1796年 ナポレオンの第一次イタリア遠征

1804年 ナポレオン・ボナパルトフランス皇帝に即位

1805年 トラファルガーの海戦アウステルリッツの三帝会戦

1808年 スペイン独立戦争

1812年 ナポレオンのロシア遠征米英戦争

1815年 ワーテルローの戦いでナポレオン敗北

1830年 国王シャルル10世アルジェリア上陸

 以上のように、セイが活躍していた時代は戦乱の時代であり、この当時はすべてが軍事に使用され、いくら物を作っても不足する状態にありました。

 こうした社会状況下では、需要はいくらでもあり、作れば売れる状況にあったと言えます。

 こうしてセイは「供給はそれ自身の需要を創造する」という、「セイの法則」を考え付くことになります。

 しかし、現在の日本のように“もの”を作る技術は十分にあり、かつ海外からも安価な“もの”が供給される状況下では、“もの”が過剰になることこそあれ、不足することはあまりありません。

 つまり、“もの”が売れ残る場合がでてきます。

 売れ残りがでないためには、“もの”を購入する人に生産者が供給する分だけの“もの”の購入資金がある必要があり、購入資金がなければ購入できません。

 ところで購入資金はどのようにして得ることができるのでしょうか。有価証券の配当、不動産収入など、いろいろあると思いますが、一番の収入源は働くことによってえられる労働報酬、すなわち“賃金”ではないでしょうか。

 経済の基本は生産者と消費者がいて成り立っています。生産者は働くことで賃金を得て消費者になり、消費者は消費することでお金を使い、働くことで生産者になり賃金を得ます。この回転で基本、経済は回っているといっても良いものと思われます。

 さて、ここで「鶏が先か、卵が先か」について考えてみたいと思います。

 この話しは、鶏が先にいたから新しい鶏が出てくることになったという意見に対して、いや卵が先にあったから卵が孵化して新しい鶏が次々に生まれてくるようになった、ということで、鶏の起源はそもそもどちらに帰すべきだろうか、という所にミソがあります。

 この意見は先の「セイの法則」に関わってくるのですが、「経済が動くのは、需要が先か、供給が先か」と同じような内容を含んでいます。

 「セイの法則」では、「供給が先で、“もの”に対する供給があれば需要が生まれてくる」、というものです。

 これは本当でしょうか。実は社会がもの不足の経済下にあれば、「セイの法則」が成り立つかもしれませんが、ものが過剰にある社会では、需要のあるものを作らないと作っても売れません。

 つまり戦争もなく平和な現代社会では、「需要が先で、“もの”に対する需要があれば、供給が生まれてくる」というのが正解で、これを「逆セイの法則」という言い方をすれば、現在ではこの「逆セイの法則」に基づいた経済政策をする必要があります。

 では、日本経済の現状をみて見ましょう。

図1 賃金水準の推移

 日本経済の状況は、賃金水準が他国と逆に、どんどん減ってきています。言い換えれば、“もの”を購入するお金が、ドンドン減っているのです。

 先ほどの「逆セイの法則」を考えれば、ドンドンお金が減っているのですから、“もの”への需要がドンドン減ってきていると言って良い状況だと思われます。

 “もの”への需要がドンドン減ってきているということは、“もの”の供給もドンドン細っていると言えそうです。

 “もの”の供給が細るということは、生産者の“賃金”が細ることを意味し、これはすなわち生産者=消費者ですから、消費者の購買力が落ちることを意味しています。

 購買力が落ちれば、ますます生産者は生産を控えるために、ますます“賃金”が低下し、経済は悪化していきます。

 現在の日本は現状、このような状況に落ち込んでいます。

 では、この打破にはどうすれば良いのでしょうか。

 そのためには、需要が回復するような手を打つことが求められます。現状は、この打開を狙って政府は行動しているんですが、打つ手、打つ手が間違っているか、経済のイロハを考えないものですから、一向に効き目がなく、日本経済は奈落の道から抜け出せないでいます。

 では、現状を見ながら、対応策を考えてみましょう。

1 需要の喚起策

 現在日本経済は極度の需要不足に陥っており、そのために“もの”を作っても売れない状況が続いています。

 この状況を打破するためには、政府が財政資金をだして、民需を高める方策が必要とされます。

 では、現状、政府はどのような財政政策を採っているのでしょうか。

 実は政府は“プライマリーバランスの健全化”を謳い、積極財政措置を取らないどころか、PB健全化を目標に、財政措置を取らず、消費税増税に重きを置く政策を採っています。

 消費税増税とは、消費者から税金を徴収して購買力を奪う政策ですから、“もの”は売れなくなり、生産はますます細ることになります。

 通常不景気の時の財政措置は積極的財政といって、公共投資、設備投資資金を民間に回して雇用を確保し、失業率の解消、賃金アップを図り、購買力を高めることによって需要を喚起し、企業の設備投資意欲を引き出し、経済活動を高める施策を取るのが普通です。

しかし現状は逆、つまり、政府の財政措置は需要創出とは逆の財政措置のために、需要は喚起されず、企業の生産活動は停滞したままというのが現状です。

政府の言い訳は、財政がひっ迫しているから財政措置は取れないというのがその言い分です。ということは、財政の面から言えば、日本は永久に縮小均衡に陥り、今後日本は後進国並みの経済規模に陥り、世界の表舞台から消えるということを意味することになります。

しかしこれは本当でしょうか。国には銀行券を発行する権限があり、基本的にPBバランスを遵守する必要はありません。ここにおいて、銀行券の発行権限の無い地方自治体と発行権限のある国の会計が異なることになります。

 さて、いずれにしても国がPB遵守の財政措置を取っている限り、財政面からの国の経済発展はありません。

 

 では、金融面からの経済発展の道はないのでしょうか。

 

日銀の発表によれば、2021年8月のマネタリーベースの平均残高は前年比14.9%増の657兆円となった模様で、国債買い入れで残高は過去最高の更新が続いています。(平均残高の内訳は、日銀当座預金が535兆円で、残高が過去最高。紙幣は117兆、貨幣は5兆)

 2021年2月のマネーストックは1485兆円、2022年2月は1532兆円となっており、金融市場では過剰流動性の状態になっているようです。

 従来は日本の金融市場の流動性は低かったのですが、近年の大胆な金融緩和政策によって、金融市場の流動性は急激に拡大しつつあるようです。

 したがって、金融面だけから見ると、流動性は十分だから、民間にお金が流れ、需要が喚起されて経済は上向くと思われています。

 しかし実態は違い、民間の景気は冷え込んだままで、一向に景気回復の様子は見られません。

 これは何故でしょうか。

 実はここでも未だに“セイの法則”が生きているのです。

 財務省は供給があれば、需要はそれについてくるから需要を増やす政策を採らなくても、供給さえ滞りなく行えれば景気は上向くという“セイの法則”を地で行く政策を採り、また金融部門は需要を喚起するためには設備投資を進め、雇用の確保、賃金水準の向上により、景気を拡大させる目論見ですが、肝心の供給部門の設備投資が需要不足で行われないために、いくら金融緩和してもその過剰流動性を上手く使うことができず、結局資金が寝てしまう事態に陥ってしまい、経済活性化は起きませんでした。

 ここで言えることは、財務省の間違った経済学の理解と、財務省と日銀の連携が行われていないというところから、日本の経済政策は成功しなかったのですが、その失敗を今も取り続けていますから、これからも日本の経済停滞、縮小は続くものとなります。

 そして、財務省が現在の政策をとる背景のPB遵守は、日本に資金が無いというところからきているのですが、日銀には“日銀券の発行権限”があることに目をつぶっており、その機能を使おうとはしないところから現在の経済状況に日本を追いやっています。

 日銀の金融緩和が効力を発揮しないのは財務省の緊縮財政のためであり、その緊縮財政の論理的背景の“セイの法則”に未だにしがみついた政策担当者の時代錯誤の経済運営が現状を招いていると言えます。日本国民を経済政策の実験台に使っているとしか思えません。そして、また10年がたった後、やはりPB遵守政策は失敗だったという言い訳が出てくるような気がします。

 こうした政策の背景の資金不足について、後日もう一度稿を改めて、ご連絡したいと思います。


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