“思考停止”が危機を招く


 戦後のわが国は戦前の憲法、そして戦前の社会通念を否定することからはじまった。

 明治天皇が発布された教育勅語を見ると、

  • 親に孝養をつくす(孝行)
  • 兄弟・姉妹は仲良くする(友愛)
  • 夫婦はいつも仲むつまじく(夫婦の和)
  • 友だちはお互いに信じあって付き合う(朋友の信)
  • 自分の言動をつつしむ(謙遜)
  • 広く全ての人に愛の手をさしのべる(博愛)
  • 勉学に励み職業を身につける(修業習学)
  • 知識を養い才能を伸ばす(知能啓発)
  • 人格の向上につとめる(徳器成就)
  • 広く世の人々や社会のためになる仕事に励む(公益世務)
  • 法律や規則を守り社会の秩序に従う(遵法)

● 正しい勇気をもって国のため真心を尽す(義勇)

 この中の何が間違っているのだろうか。もしもこれを否定するとどうなるか、次に示すと、

①不忠の奨励、②友愛否定・喧噪是認、③夫婦喧嘩の奨励、④相互信頼の破壊、⑤謙遜否定・横暴奨励、⑥利己主義奨励、⑦勉学・職業軽視、⑧自己啓発の軽視、⑨不徳の奨励、⑩公益破壊、⑪秩序の破壊、⑫国への反逆奨励

 教育勅語の否定は、自己破壊、家族破壊、反社会的活動に繋がり、国の衰退、崩壊を進めるものとなる。

 戦後GHQがわが国にもたらした改革は、教育勅語の否定から始まり、そして日本国憲法が作られた。その目的は日本の弱体化、そして永久に戦争ができない国、自分の国すら守れない国にすることだった。

 したがって、憲法9条の戦力、戦争の否定・放棄論は日本を救うためのものではなく、日本を弱体化させるためのものであって決して日本の将来、日本のためを考えて作られたものではない。

 戦時中に捕らえられ留置場に送られた左派系の共産党員らは戦後釈放され、彼らは戦前の教育界で教育を担当していた右派系教員が大量に下野した後の戦後の教育界に進出することになり、その後の日教組で大きな力を発揮し、君が代不斉唱・不起立、歴史の真実、戦前の歴史の無視、そして自虐史観の植え付けなどで子供たちの思想に大きな影響を与えることになった。

 こうした憲法に対する改正意見には即座に思考停止的に反対意見が出され、現在の社会にマッチした憲法の改憲論議は先に進めない事態になっている。

 2011年3月11日に発生した東日本大震災は、東電の第一、第二福島原発事故により炉心溶融と水素爆発が起こり、深刻な原発事故問題が提起された。

 この福島の原発事故は1986年4月26日、旧ソ連のウクライナ・ソビエト社会主義共和国チェルノブイリ原子力発電所で起きた原子力事故に匹敵するもので、世界的にも大きな注目を集めた事故だった。

 この事故により、日本の原子力発電所の開発、新設備建設の論議はほぼ凍結され、原子力開発の論議は思考停止的に、わが国では論議できない状況になっている。

 わが国のバブル経済が崩壊して約30年が経とうとしている。この30年間でわが国が積み上げてきた公債は約1200兆円とも言われており、政府はその政府債務を国民の“借金”と言い直し、この借金を解消するためにプラマリーバランスを堅持し、消費増税をしなければならないと説き、それを着実に実行してきた。そして今でも、そのスタンスは変わっておらず、多くの反対があるにも関わらず消費増税は今後も続く見通しにある。

 政府は消費増税で思考は停止しており、日本の現状がどうであれ、それ以外の経済再建政策は議論ができないような状況が今の日本には感じられる。

 自然界の変化は緩やかであるが、人間社会は急激に移り変わっていく。

 戦後70年、大きな戦争もなく、比較的平穏に経過していた世界も、突如、力を信奉するロシアがウクライナ侵攻を始め、新たな全体主義的社会秩序が構築されようとしている。

 力を信奉する国はロシアのみならず、大国中国もその一端を占め、台湾、南沙諸島の中国領有権主張、尖閣諸島の中国の核心的領土主張、更には沖縄についても琉球王朝時代を持ち出し、琉球王朝が中国へ朝貢をしていた事実から、沖縄を中国の支配下にある地域、中国の主権が及ぶ地域として、現状を変えるべく、領土的野心を前面に出してきている。

 そして、中国に同調、支持する国は、例えば中国の“香港への国家安全維持法導入”に反対する国は民主的で自由が保たれている国、27か国に対して、賛成の国は相対的に強権的・独裁的な53か国にも及び、権威主義的・拡張主義的傾向は今後更に拡大こそあれ、縮小する傾向は見られない。

 そしてこの傾向は、ロシア・ウクライナ紛争が終結した後にも続くことが予想される。

 ロシア・ウクライナ紛争はエネルギー問題を引き起こし、ロシアにエネルギーを依存しているEU諸国は、ロシアからのエネルギー供給がストップするという危機的状況に陥り、チェリノブイリ、福島の原子力発電所事故によりほぼ凍結していた原子力発電の開発再開に向けて歩を進めようとしている。

 そして、原子力発電所は従来のように大型の原子力発電所ではなく、小型モジュール炉、高温ガス炉などが中心であり、技術は安全なものへと大きく進化してきている。

 エネルギーのほぼ100%を海外に依存している日本も例外ではなくエネルギーは高騰し、国民生活に大きな負担が強いられようとしている。

 しかし現在日本では、原発建て替えや新設は想定されておらず、次世代原子炉の導入計画もない。

 日本では1970年代から運転を開始した原子力発電所の多くは、部品などの国産化率は90%を超え、約1000万に及ぶ部品の供給網はすでに日本にはあると言われている。現在は、これらの膨大な設備、技術が無為に捨てられようとしている。

 30年にも及ぶデフレ経済は、「公債償還はプライマリーバランスによってしか解消できない」とする、日本財務省の固定観念から生み出されてもので、公債の見方、捉え方、処理の仕方が多くあることに目をつぶって、思考停止状態にあることからくる結論ともいえる。

 プライマリーバランスは収入・支出を固定して考え、その中で家計の満足度が最大になるように家計を考えるモデルに適用されるものであるが、日銀のように“通貨発行権”を有する中央銀行がある場合、極端なことを考えれば収入はいくらでもあると考えることができ、プライマリーバランスを考える必要はなく、通貨発行の増減による“インフレ”の状況をみて通貨発行量を決めればよい。

 しかし、財務省はプライマリーバランス維持の思考停止状態から抜け出ることはなく、この30年、プライマリーバランス維持に基づき日本経済を運営してきた。

 現在日本政府は、いや日本人は、憲法改正に反対、原子力開発・新設に反対、国の予算はプライマリーバランスを守らないと孫末代にまで借金を押し付けることになるからプライマリーバランス堅持と社会環境が大きく変わりつつある現在でも、これら一点に思考を集中、そしてその他の思考を停止させており、その他の多様な考え、方法について考えてみようともしないし、自分と違う考え、方法を認めようともしない。

 日本の衰退の原因は、間違いを間違いとして認めない頑固さよりも、自らの主張が絶対とする“高慢さ”にあるのかもしれない。

 しかし、斯くいう私も自分の主張を通そうとするところがあり、高慢のしりを免れないが、しかし、一国の経済、国民の生命・財産を預かっている政府として、社会の激変を顧みることなく十年一日のごとくGHQから与えられたアメリカのための憲法の下で不毛の議論をして国を危うくし、また、ただ30年間、経済政策が間違っていましたからデフレからの脱却ができませんでした、という現状からして、ただ世界に対する現状認識ミス、政策ミスでしたでは済まされない重大な無責任、知識・情報の政府支持層の独占的・独裁的占有という欠陥を政府は内包している様子が感じられる。謙遜になって、間違いは間違いとして最善の対策を考えることが求められているが、その道のりは険しいものが感じられる。

 原子力発電に関しては、確かに事故の危険はある。そしてテロの危険はある。しかしその技術の芽を摘んでしまっては今後の発展はおぼつかない。未来は未来の子供達に任せ、子供たちに技術を伝えること、よい物も、悪い物もすべて未来の子供たちに引継ぎ、未来の子供たちを信用して任せることが大切かと思われる。

 今私たちの世代が結論を下し、すべての発展の芽をつぶすことは、未来の子供達のために、決して良いことではない。たとえ現役世代の私たちが犠牲になろうとも、未来の子供達の発展を支え、伸ばすことができるなら、それこそが望ましいことではないだろうか。

 日本人の特徴は、一旦こうと決まれば、その善し悪しは別にして、猪突猛進、一直線に突き進むところにあるのかもしれない。

 その進む方法が良い場合には大成功につなげられるが、悪い場合には大きな失敗になる。現在の日本の猪突猛進は、悪い方法、悪い方向に進みつつあり、このままの状態が続くなら、将来の結論は望まない結果が待ち受けているのではないかと思われる。

 一刻も早く軌道修正をし、望ましい道を選択することが望まれる。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です