近年になって、うれしくないことですが、日本の経済停滞が世界でも有名になってきているみたいです。確かに経済成長しない期間が30年も続けば、誰がみても異常な事態と思います。
その原因はどこにあるのか、その原因が分かっているくらいなら、とっくの昔に経済成長の軌道に乗っているはずですが、そうならなかったということは、「その原因が分かっていない」ということに尽きると思います。
いったいその原因はどこにあるのでしょうか。確かに緊縮財政がバブル経済崩壊の約10年後、日本の財政政策の中心になっています。この緊縮財政は、バブル後の経済を浮揚するためにとられた多額の財政出動を国の債務と考えた政府が、その後の財政支出を抑えるためにとった政策でした。しかし、その後20年にわたって日本の経済はデフレ状態から抜け出せず、確かにコロナの災害が直撃しましたが、現在でもデフレ状態にあるのが実情です。
でもそこに至るまで、どういうことが日本に起こっていたのでしょうか。その時間的流れを検証しないで、表面に現れた結果だけを追い求めるとき、現在の状況からいつまでたっても抜け出せないのではないかと思います。
改めて、時間的流れを追ってみたいと思います。
1991~1993年までのバブル経済の崩壊後、株、土地の資産価値は暴落し、それまで消費に沸いていた市場は急速に縮小、以前の等身大の消費活動に戻ります。
しかし、1993年1月に発足した米国民主党のクリントン大統領は4月の日米首脳会談で「貿易不均衡の是正には円高が有効」と発言し、円高誘導を狙いました。その結果1995年4月には最高値の1ドル79.75円まで急騰することになります。戦後1ドル360円から始まった為替レートは、急伸し以前に比べて4.5倍の価値をもつ通貨になります。
しかしこの急激な円高に耐えられない日本の輸出産業は大挙して海外展開を目指します。一方1994年の米中首脳会談でクリントン大統領は中国の為替レートの元安を承認し、1ドル5元程度から1995年には8元程度にまで元安が加速化されました。
したがって日本企業の海外展開とは中国展開であり、日本企業は大挙して中国市場へと進出し、欧米も後に続いて中国市場へ進出することにより、中国は世界の工場と言われるまでになりました。
日本の製造基盤は中国に移ることになり、日本は国内で物を作るよりも、海外(主に中国)でモノづくりに励み、輸入した方が儲かるという経済構造が日本に定着していきます。
こうして日本の経済成長が鈍化する中で、2001~06年の小泉純一郎内閣は構造改革を推進します。長期のデフレに対して小泉政権は経済の立て直しを最重要課題に掲げ、「構造改革なくして日本の再生と発展はない」として「聖域なき構造改革」を進めます。労働市場も例外ではなく、労働市場の流動性を高める観点から非正規労働を容認する方向へと舵をきります。
そしてこの時期、女性の社会進出が進み、製造業の海外展開などで正規労働者を重視する製造業が少なくなる一方、比較的女性労働者多い非正規雇用を重宝するサービス産業の割合が増え、賃金水準が抑えられていきます。
一方社会構造的には高齢化が進み、社会福祉費が増大を続け、公債発行を国の債務と考える財務省は財政規律の面から大学の予算交付金の削減、競争的研究費の減少、公共事業、設備投資の現状維持、削減へと進みます。
こうした社会・経済環境の変化の中で、デフレが継続していきました。
日本の経済構造は輸出依存型から輸入依存型経済構造に変わり、国内市場は安い海外製品に押されて物価は抑えられ、結果、消費者物価の伸びも低く抑えられ、また製造業の衰退により正規労働者が減少する一方、賃金水準の低い非正規労働者が急増し、国内市場には低価格のものが溢れ、国内製造業者は生き残りをかけて、海外展開を加速させ、海外で安く生産したものを日本に輸入するという逆輸入で利益をあげる経済構造が定着していきます。
日本で円高が進めば進むほど、日本の製造業は海外展開を加速させ、安い商品を逆輸入することで物価上昇を止め、また正社員から非正規社員に労働力がシフトすることで賃金水準は低下し、国内の購買力はますます低下することになりました。その結果、安い外国商品により国内製造業は停滞し、海外展開できない企業の倒産、そして賃金水準の低下とデフレ傾向が続くことになります。
問題はこの悪循環をどう断ち切るかですが、現在のところ、日本政府は解を見出していないようです。
緊縮財政派は、超金融緩和の一方、財政規律を守り、消費増税で国の債務をできるだけ無くすことを第1に考え、財政出動には否定的です。
一方、積極財政派は、超金融緩和の一方、財政規律よりも需要創出を考えて、財政出動により需要の増加、そして供給力の拡大へとつなげ、さらに既存の供給力を凌ぐ需要が喚起された場合には、設備投資の拡大、GDPの拡大、そして賃金のアップへとつなげることで、デフレからの脱却を図ろうとしています。
ここで、積極財政派の財政出動で需要が喚起された場合、海外の日本企業から安い商品が日本に逆輸入され、結局財政出動も日本の供給力向上にはつながらず、財政が悪化するだけではないか、という声が聞こえてきそうです。
しかし30年間賃金水準が停滞したおかげで、日本の賃金水準は都市部中国にも追い抜かれそうになっており、日本商品の価格競争力は逆に強くなり始めています。
これまで円高で日本の産業構造は円高対応で進み、製造業の海外移転、輸入産業であるサービス業の発達と進んできましたが、30年のデフレで疲弊した国内製造業は国内産業構造の脆弱さのための円安で逆に価格競争力を身に着け、海外へ日本から輸出できる体制ができあがりつつある可能性があります。
現在の日本の国内産業は、輸入産業主体へと消費を楽しむ経済構造に移りつつありました。しかし、この構造がこの30年のデフレにより無くなりつつあり、日本本来の供給主体の経済構造に戻ろうとしています。
すなわち、積極財政が有効になる条件が整いつつあると言えます。
緊縮財政派はプライマリーバランスを堅持すれば財政破綻は防げるといいますが、緊縮財政派の財務省がプライマリーバランス堅持を図っても、年毎の社会福祉費は増大するために、結局消費税は15%、20%と際限もなく上昇し、日本は最後には世界経済から取り残されてしまうことになります。
しかし、ここで注意しなくてはならないことは、積極的財政論者の理論的背景にはMMT理論がありますが、だからと言って、むやみに財政拡大をすることはできません。確かに、中央銀行の日銀が存在する日本で、債務過多で国が倒産することはありませんが、日銀券の増刷は必ずインフレを招き、需要をオーバーした日銀券の供給は、高いインフレ、バブル経済を生み、必ずしも良い対応とは言えません。
緊縮財政派は、最後には消費税増税で日本を本当の意味で、世界経済からの落後者にしますが、では、積極財政派は、どうすればデフレ脱却ができるのでしょうか。
バラマキ財政では、インフレを加速させても、日本経済を強くすることはありません。
ここまでは積極的財政論者の意見ですが、ここでは、限られた積極財源の中で、どうすれば良いかを考えます。
経済成長を促す要因は、“生産性の向上”につきます。一人当たり“生産性が向上”すれば、あとは人の数が多くなればなるほど、GDPは増加します。
人口減少社会に入ろうとしている日本では、生産性向上を図る分野に財政措置を行う必要があります。そして民間ではできない分野に積極的投資を行い、民間部門を強化・活性化する必要があります。
その部門を挙げれば、
①人材教育
②研究開発
③設備投資
を挙げることができると思います。
現在は10年経てば新しい技術が出てくる時代です。個々のマンパワーを高め、複数ジョブ、先端ジョブに従事できるスキルを見つけることが、仕事のミスマッチを防ぎ、生産性を高めることに繋がります。
研究開発は日本の底力を示すもので、新しい時代を切り開く重要な役割を担っています。研究開発費をけちる国の将来は危ういものと思われます。
現在の日本は緊縮財政派財務省よって、まさに研究開発費をけちる国になっております。
また、設備投資は民間が採算があわないから参入しない分野で、将来性のある分野、例えば
①水素社会を構想した水素ステーションの建設、電気自動車の“充電ステーション”の建設等
②太陽光発電をつなぐ送電網
③50年以上経過したインフラ(トンネル、橋、上下水道など)への最先端技術による設備投資等
また、核融合、宇宙、海洋資源探査、AI、DXなど、今後の日本を左右する分野は多くあります。こうした分野に財源を惜しまず投入し、投資が将来帰ってくる分野に積極的財政活用が必要になっているものと思われます。
積極財政派の盲点は、この将来日本を発展させる分野を特定し、指定できないところにあります。この盲点を克服し、そこに積極的投資を行えば、日本の将来に展望が見えてくるものと思われます。
財政均衡派と財政積極派は、どこでボタンの掛け違いを犯したのでしょうか。
もしも財政均衡派が今後も日本の財政を管理・支配するようなら、デフレが続き、国内では貨幣価値は上がりますが日本の国力衰退のために円安が進行し、日本の経済は相対的に貧しくなり、スタグフレーションで庶民の生活はさらに苦しくなることが想定されます。
逆に財政積極派が日本の財政を管理・支配するようなら、人材教育、研究開発、設備投資など、当初は成果は見えずらいものの、次第に日本経済は経済の回復基調に乗ることが推測されます。
ただし、成果の即効性がないために、国民の不満の声が出て、バラマキ財政に陥る危険性はあります。
以上が大方の識者の意見のように思います。
黒田日銀総裁の任期が来年切れます。岸田総理がその後任に、誰を据えるかによって、日本の命運は半ば決定されるものと思われます。
さて、私たちが取らなくてはならない、対策とは。