日本国憲法に求められる改正とは


 今日本では憲法の改正論議が盛んです。特に最近ではロシア・ウクライナ紛争が憲法9条の改正論議に拍車をかけているように感じます。

 確かにこれまでベトナム戦争、イスラエルとアラブ諸国間の中東戦争、イラクのクエート侵攻に対する湾岸戦争、またそれに続くイラク戦争など、多くの戦争、地域的な紛争がありました。しかし、どこかこれらの戦争・紛争は私たちの生活に影響を及ぼすとは考えにくく、どちらかと言えば他人事のような感じで眺めていたように思われます。

 でも今回のロシアのウクライナ侵攻は、そうした危機感の無さ、他人事の感じから、身近な戦争、危機感を醸成する深刻な戦いへというイメージに変化しているように感じます。世界が一つになりかけており、日本にも多くのウクライナの人、ロシアの人が来日、また帰化した人もおられます。だから身近な戦争と感じるのでしょうか。

しかしやはり国連での熱い論議、あたかも第2次世界大戦前の日本の国際連盟脱退の雰囲気を、当時も各あらんと思わせるものをそこに感じるからでしょうか。

1931年9月、満州事変が勃発し、その後清朝のラストエンペラーだった宣統帝・愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)が皇帝(満州国の君主)として擁立され、1932年3月1日、満州国が建国されました。

1932年10月1日、英国人ヴィクター・ブルワー=リットン卿を団長とする「リットン調査団」による、「リットン報告書」が国際連盟に提出され、『満洲事変は「自衛の行動」だとは認めないが、日本が満洲に持つ権益は尊重した上で、独立国ではなく中国の満洲地方の「自治政府」として、日本人を含む外国人顧問をその自治政府に付随させる』ということが提言されました。しかし、この提言に対して日本政府は「受け入れがたい」として拒否し、ここに日本に有利な解決の道は閉ざされることになりました。

 国際連盟は日本の要求をほぼのみ、ただ「自治政府として外国人顧問を自治政府に付随させる」という条件が国際連盟の条件であり、名を捨て、実を取ることができなかった日本は、孤立、戦乱の道へと進むことになります。

 日本の妥協を許さない飽くなき要求が、その後の日本の進路を決定づけたとも言えます。

 1933年2月、提言覚め止まない中、関東軍は日本政府の万里の長城(ちょうじょう)以北という条件付き承認の下で「熱河作戦」を開始しました。しかし同年2月24日、国際連盟から強い反発を受けて満州国を否認され、満州事変以降の責任を問われた日本政府は、1933年3月27日、「国際連盟脱退」を決意することになります。

一方連盟脱退をも辞さない軍部は「熱河作戦」を強行し、4月には万里の長城線を越えて軍事侵略を河北省に拡大、これに対して対日妥協策をとる中国政府は日本との停戦を求め、5月31日「塘沽(タンクー)協定」を結び、河北省北東部に非武装地帯を作り、「満州国」は黙認されました。

 日本の国際連盟脱退は、日本の要求・提言に国際連盟が強い反発を示したからであり、その状況は今日のロシアの要求に対する国際連合の反発に似たものがあると思われます。

そしてその後世界は第2次世界大戦へと歩を進めて行きます。

 ロシア・ウクライナ紛争の懸念は、大ざっぱに言えばこれまでの先進国対途上国という関係ではなく、共に原子力発電所を保有したりする先進国間の戦いであり、また自由・民主主義を犯す戦いでもあり、その戦いの持つ意味が従来の戦いと大きく違い、下手をすれば世界戦争に繋がるものを含んでいるからではないでしょうか。

日本国憲法の序文を見て見ましょう。

 『日本国民は正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために諸国民との協和による成果と主権在民と共和と自由を確保し、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言しこの憲法を確定する。

・・・・・・省略・・・・・・

日本国民は恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持しようと決意した。

われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。

・・・・・・省略・・・・・・

われらはいづれの国家も自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は普遍的なものであり、この法則に従ふことは自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

とあります。

そして憲法9条がその後続くことになりますが、第九条は短いものです。

 第九条 ①日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

とあります。

ここで序文に、

  • 平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持。
  • 専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会
  • 政治道徳の法則は普遍的なもので、この法則に従ふことは各国の責務

とあります。

現在この条件が踏みにじられ、憲法第9条を施行する前提条件が崩れ、

  • 公正と信義が信頼できない
  • 専制と隷従、圧迫と偏狭を容認する国の存在
  • 普遍的な政治道徳の法則に従わない国の存在

が大々的に国際社会に現れてきた以上、憲法第9条、その他の条文の改正も必然的に検討されなければならなくなってきていると思われます。

では、どのように改正されるべきでしょうか。

 憲法序文に、

『日本国民は正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために諸国民との協和による成果と主権在民と共和と自由を確保し、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意』

とあります。

 しかし、この条文が意味するところは、日本国、日本国民に対する戦争惨禍の回避、主権在民、共和と自由の確保です。

 時代は変わり、世界が昔に比べてとても狭く、小さくなった現在、現在のウクライナの人々の困難、そしてその他多くの国々の人々の惨禍を見るにつけ、私たちの日本、日本人は世界の平和と安寧のために貢献することがこれから必要だと思われます。

 日本は天皇陛下を戴く国ですが、天皇は有史以来続く日本という国体の継承者、統治者、権威者であり、天皇という権威によって日本は統治されてきました。

 しかしその天皇の“権威”とは、基本、仁徳天皇の「民の竈(かまど)」や後奈良天皇の「般若心経の書写」等に見られるように、民の安寧を願う“慈悲と慈愛”に満ちた天皇の“精神”が人を屈服させる“権威”であり、力と恐怖、強権、抑圧等が、“権威”として継承されてきわけではありません。

 身近な例として終戦間もないときの昭和天皇(裕仁天皇)のお言葉、態度を見ておきたいと思います。

『《終戦直後の昭和20年9月27日、昭和天皇と側近はアメリカ大使館公邸を訪れた。大使公邸の玄関で昭和天皇を出迎えたのは、マッカーサーではなく、わずか2人の副官だけだった。

  昭和天皇の訪問の知らせを聞いたマッカーサーは第一次大戦直後、占領軍としてドイツへ進駐した父に伴っていた時に敗戦国ドイツのカイゼル皇帝が占領軍の元に訪れていた事を思い出していた。

  カイゼル皇帝は『戦争は国民が勝手にやったこと、自分には責任がない。従って自分の命だけは助けてほしい』と命乞いを申し出たのだ。

  同じような命乞いを予想していたマッカーサーはパイプを口にくわえ、ソファーから立とうともしなかった。椅子に座って背もたれに体を預け、足を組み、マドロスパイプを咥えた姿は、あからさまに昭和天皇を見下していた。

  そんなマッカーサーに対して昭和天皇は直立不動のままで、国際儀礼としての挨拶をした後に自身の進退について述べられた。

『日本国天皇はこの私であります。戦争に関する一切の責任はこの私にあります。私の命においてすべてが行なわれました限り、日本にはただ一人の戦犯もおりません。絞首刑はもちろんのこと、いかなる極刑に処されても、いつでも応ずるだけの覚悟があります。

  しかしながら、罪なき8000万の国民が住むに家なく着るに衣なく、食べるに食なき姿において、まさに深憂に耐えんものがあります。温かき閣下のご配慮を持ちまして、国民たちの衣食住の点のみにご高配を賜りますように』と願われた。

この言葉に、マッカーサーは驚いた。彼は、昭和天皇が命乞いにくるのだろうと考えていた。自らの命と引き換えに、自国民を救おうとした国王など、世界の歴史上殆ど無かったからだ。

マッカーサーは咥えていたマドロスパイプを机に置き、椅子から立ち上がった。今度はまるで一臣下のように駆けて昭和天皇の前に立ち、そこで直立不動の姿勢をとった。

  マッカーサーはこの時の感動を、『回想記』にこう記している。「私は大きい感動にゆすぶられた。この勇気に満ちた態度に、私の骨の髄までもゆり動かされた。私はその瞬間、私の眼前にいる天皇が、個人の資格においても日本における最高の紳士である、と思った」

35分にわたった会見が終わった時、マッカーサーの昭和天皇に対する態度は変わっていた。わざわざ予定を変えて、自ら昭和天皇を玄関まで送った。これは最大の好意の表れだったのだ。

  この年の11月、アメリカ政府は、マッカーサーに対し、昭和天皇の戦争責任を調査するよう要請したがマッカーサーは、「戦争責任を追及できる証拠は一切ない」と本国へ回答した。

  マッカーサーと昭和天皇は個人的な信頼関係を築き、この後合計11回に渡って会談を繰り返した。マッカーサーは日本の占領統治の為に昭和天皇は絶対に必要な存在であるという認識を深めるに至ったのだ。》

重光葵外務大臣:読売新聞(昭和30年9月14日)』

 私は小学校でこのような大切なことを一度も耳にしたこともなければ、教わった記憶もありません。日本の天皇とはかくある方であり、一般の人々が思う人とは根源から違うことを私は理解しました。

 こうした天皇が願われることは、また世界の平和、世界の安寧であり、日本、日本人はそのために貢献して欲しいと思われているのではないかと思われます。

 国家とは「一定の領土とそこに住む住民を治める排他的な政治・権力組織と統治権を持つ社会」を指します。国家の責務には“内”と“外”の2つがあり、体内的な責務は、「そこに住む住民の生命、財産、国益を守ること」であり、外交、防衛政策が根幹をなします。

 これに対して国家の対外的責務とは、「正義と博愛、公正と信義に基づいて、世界の平和と安寧、繁栄と発展のために国家として世界に貢献すること」にあると思われます。

 現憲法には、国の対内的責務については説かれていますが、対外的責務については説かれていません。対外的責務の精神的支柱は“正義と博愛、公正と信義”にあり、この精神が欠けた場合には、人々に貢献する“真”の対外的責務は生じ得ません。

 また、対内的責務のみに拘泥する場合には、場合によっては独りよがりの非難を免れ得ない場合があるかもしれません。

 憲法の序文に、次のような文章を付け加え、天皇の御意志を尊重した上で、この新生序文に基づいて憲法第9条、その他条文を作り直す必要があるかもしれません。

 『“正義と博愛、公正と信義” に基づいて、日本国は“世界の平和と繁栄・発展のために国家として寄与することを決意し、ここに国際社会の名誉ある一員として貢献することを誓う。』

 この一文を加えることにより、“正義と博愛、公正と信義” に基づいて、多くの国々を支援し、助け、愛を示すことによって、世界の人々から「日本は世界になくてはならない国」と評価され、このとき日本国憲法第9条は、世界から望まれる形に改正されるものと思われます。

 憲法改正が必要な時期は来ています。しかし、憲法改正には日本の世界への位置づけを考え天皇陛下の意志を尊重した上で、改正される必要があるものと思われます。

 日本が世界に必要な国でありますように! 日本が世界に愛を示し、貢献できる国でありますように!

参考:憲法序文

 『日本国民は正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために諸国民との協和による成果と主権在民と共和と自由を確保し、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言しこの憲法を確定する。

そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基くものである。

われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持しようと決意した。

われらは(戦争放棄を通じて)平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。

われらは全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらはいづれの国家も自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は普遍的なものであり、この法則に従ふことは自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

(われらは正義と博愛、公正と信義” に基づいて、“世界の平和と繁栄・発展のために国家として寄与することを決意し、ここに国際社会の名誉ある一員として貢献することを誓う。)

日本国民は国家の名誉にかけ、全力をあげて(日本国を陶冶し)この崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。』

 ただし、()内は、追加文。


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