病院を退院し、腰椎骨折のためにリハビリの日々を送っているが、他の外傷、裂傷も治り、元通りの日々が戻りつつある。私は今回の事故の前と後では自分が大きく変わったような気がする。
私が意識不明だったこともあり、父の死に目に会うことはことはできなかったが、今は物思いにふけっているとき、幻の父が私によく話しかけてくる。”大丈夫か?何かあればわしに相談しろ”と。
戦後日本人は宗教を信じることは古い考えで、神、仏を信じない者、無宗教こそが世の最先端を行っているものと思い、神、仏を捨て、この世の富を多くもつこと、多くをもつ者こそが正義、覇者、成功者と思い込んでいた。
私もこうした日本人の一人だった。いや、事故を起こす前までは、と言いなおそう。今は亡き父が私のことを心配し話しかけてくるのを実感するにつけ、死後の世界はあるのではないかと思い始めている。言い直せば、神、仏の世界を信じ始めている。ここに私は事故を起こす前と後では自分が劇的に変わったのではないかと思っている。
昔日本で唯物史観が流行ったことがあった。そこでは目に見えないものは否定し、目に見える”物体・物質”こそが真実と言い、私も後日、こうした思想にかぶれていた。またこれが最先端の考えだとも思っていた。だからこそ、この世の富を多くもつこと、多くもつ者こそが正義、覇者、成功者と思い込んでいた。
しかし、改めて今の世界を見渡すとき多くの争い、矛盾があり、あたかもこれこそが正しいと思い込んでいた私の心の基の「唯物史観」は音を立てて崩れ始めているのを覚える。そして今回の自動車事故によって、私は見えない世界の存在を父を通して感じ始めている。
そして私は思う。私が事故によって得た多くの人達の愛と優しさ、実はこれこそが神仏の姿、本質なのではないかと。私が今あるのは、多くの人達の愛と優しさによって喜びと勇気、そして未来に対する希望が与えれたからではないかと。私はこの一連の経験を通して神の本質は「愛」にあると思う。
スティーブ・ジョブズ氏は言った。「物はあの世にもっていくことはできない。もっていくことのできるのは、人々からえられた愛や優しさの思い出だけだと。」
ジョブズ氏は、神を見ていた、感じていたのだと思う。
世の人の幸せを願うとき、身勝手かもしれないが、まずは家族、身の回りの人から幸せになってほしい。また幸せにしたい。そしてその輪は広がっていく。プレゼント、優しい言葉のプレゼント、何気ない思いやり、些細なことが感動を呼び、人々を幸せにしていく。愛を皆に分かち合いたい。
トーマス・S・モンソン氏は、次のような話をしている。
「愛を示す機会は思いがけないときに訪れることがよくあります。そのような機会の例が,1981年10月の新聞記事で紹介されました。その中で述べられていた愛と思いやりに深く胸を打たれたので,わたしは記事を切り抜いて30年以上ファイルに保存してきました。
記事によれば,乗客150人を乗せてアラスカ州アンカレジからワシントン州シアトルへ向かっていたアラスカ航空の直行便が,重傷を負った子供を運ぶために迂回してアラスカの辺境の町に向かいました。2歳の男の子が,自宅近くで遊んでいたときに転び,ガラスの破片で腕の動脈を切ってしまったのです。町はアンカレジの南方450マイル(725キロ)にあり,もちろん飛行経路からは外れていました。しかし,現場で治療に当たった医師たちが必死に協力を要請した結果,男の子が病院で治療を受けられるように,この飛行機が迂回して男の子を乗せ,シアトルへ連れて行くことになりました。
その辺境の町の近くに飛行機が着陸したとき,医師たちはパイロットに,男の子は出血がひどく,シアトルまで飛んでいては命が持たないことを告げました。そこで,病院がある最寄りの都市アラスカ州ジュノーまで,さらに飛行経路から外れて200マイル(320キロ)飛ぶことになりました。
男の子をジュノーに運んだ後,飛行機は予定より数時間遅れてシアトルに向かいました。乗客のほとんどが約束や乗り継ぎの飛行機に間に合いそうにありませんでしたが,不平を言う人は誰もいませんでした。それどころか,時が刻々と過ぎていく中で,彼らは寄付金を集め,男の子とその家族のために相当な額を集めました。
飛行機がシアトルに着陸しようというとき,乗客は大きな歓声を上げました。男の子は助かるとの無線連絡を受けたと,パイロットがアナウンスをしたのです。
わたしは次の聖書の言葉を思い浮かべました。「この慈愛はキリストの純粋な愛であって,……終わりの日にこの慈愛を持っていると認められる人は,幸いである。」
今私は命を拾ったというか、第2の人生を歩むように命を神から慈悲をもって与えられたのではないかと思っている。
その時歩む私がよりどころとするのは、「唯物史観」ではなく、愛と優しさを基本とする「道」にあるのではないかと、深く思いを寄せている。
私の新たな1ページが、事故を境にして始まったような気がする。