検察官の前でー事故の教訓ー D5


 私が自動車事故に遭ってから、二週間後に父が他界した。〇〇歳だった。私が意識不明で病院で寝ている間に父は他界した。友人は私に言った。”お父さんは、あんたの身代わりになって死になされたんや。あんたは自分の命を大切にせなあかん”。

 確かに父の見守りがあったようにも感じる。その思いは今でも感じるし、事あるご何か言いたそうな父の面影が脳裏をよぎり、何事かを決めるにしても、父の面影に相談している自分を発見する。不思議な感覚だ。

 検察庁から呼び出しがあった。ついに来た。検察庁に行くことになった。警察官から言われていたから、いつかは呼び出しが来るとは覚悟していたが、初めての検察庁への出頭である。検察庁の人は3人だろうか、それとも5人。私を取り巻いて様々な質問をしてくるのではないか。・・・”あなたは事故当時の記憶がないというが、何か隠しているんではないかね?”、”隠し事をするとよくない。もしもそれが発覚すると、罰が重くなるんだよ”・・・云々。不安がよぎる。

 検察庁の玄関で待っていると、暫くして一人の検察官が来て、自己紹介をし、エレベーターにのり、検問室へと案内された。

 驚きだった。事情聴取をする人は自己紹介をされたその人一人で、あとは誰もいない。聴取はコロナが流行っているので、目の前にアクリルの衝立があるのみで、対面での事情聴取だった。それはほぼ警察で受けた事情聴取と同じで、その整合性の確認だったと言っていい。あらためて、警察での事情聴取をおもい浮かべながら、そして再度事故現場を思い浮かべながら聴取に答えることになった。

 優しい質問の仕方だったが鋭い質問が時折あり、ハッとすることもあったが、無事終了し問いかけがあった。
 
 ”あなたは正式に法廷で幾人かの裁判官の前で裁判をすることを望みますか、それとも刑事裁判ではない、裁判を行わない略式起訴で、罰金の支払いですませるか、どちらを選びますか”との質問だった。
 確認するまでもなく、私は略式起訴を選んだ。もうこれ以上事故を人前で話すのは嫌だった。後悔の念と事故の記憶が全くないことが自分にはハンディと感じられ、質問されることに嫌気がさしていた。

 検察官はその後の処理として、起訴状を裁判所に送るが、そこで最終的な罰金額が決定されるが、ほぼ¥×××円だろうが、支払いが難しい場合は理由を述べれば支払い期限を延ばすことも可能との説明があった。
 支払い金額は後日裁判所から略式命令があり、そこで分かるとのことで、そのとき支払い期限も通知されるとのことだった。

 検察官との面談が終わったとき、私の心に大きな安ど感があったことを覚えている。そして最初に検察庁に抱いていたイメージとは異なり、フランクで親切な対応は私が検察庁に抱いていた恐怖心を拭い去り、心に大きな希望と勇気を与えるものとなった。

 今回の自動車事故で、私は多くの経験をした。事故を起こすことによって加害者、被害者のみならず周囲に想像以上の多大な労力を必要とさせ迷惑をかけること、そして、それと共にそれまで考えてもみなかった多くの優しさを知り、人としてのあるべき姿を教わることができた。

 今世界は自由と圧制の狭間で揺れている。改めて思ったことは、幸せを求めて人を変えようとするなら、外部から強制的に恐怖、圧制、力で変えるのではなく、人の心の内部に愛と優しさを示し、自発的に自分が変わろうとする意識を植え付けることが大切であり、人が愛と優しさを糧に自らが変わろうとする時社会は大きく変化し、その時に世界は真の幸福をつかむことができるのではないかと気づかされた。

 今回の自動車事故で、社会を心から変えさせる力は、愛と優しさであることを改めて知ることになった。


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