憲法9条は日本を守ることができるか A5



 明治元年から第2次世界大戦終了までの戦乱に明け暮れた時代が約80年、そして第2次世界大戦終了から数えて現在までの曲がりなりにも大きな戦争が無かった平和な時代が約80年、偶然にも80年という区切りの時を経てロシア・ウクライナ紛争を迎え、今まさに新しい時代が始まろうとしている。
ロシアはウクライナ東部紛争の和平への道筋を示した「ミンスク合意」とウクライナの安全を保障した「ブダペスト覚書」を破棄して、ウクライナへの侵攻を開始し、合意・覚書は有名無実化した。

 こうした条約の破棄は過去、幾度となく繰り返されてきている。不可侵条約でいえば、近くではドイツ・ポーランドの不可侵条約の破棄、またドイツ・ソ連間の独ソ不可侵条約の破棄など、枚挙にいとまがない。
 その破棄の構造は、軍事力に強みを持つ者による一方的な約束事の破棄であり、その逆はない。そして近年におけるこうした条約破棄の多くは全体主義に傾いた国からなされる傾向にあり、今世界はそうした傾向に向かおうとしているのかもしれない。

 現在日本人の多くは日本国憲法をいただき、戦争放棄の平和憲法があることを世界に広く示すことで、侵略の災難から免れていると思っている。

 では少し振り返ってみたい。これまでに世界で平和を唱えるだけで侵略の被害を免れた国があっただろうか。

 残念ながら世界の歴史の中で、征服はされないで、かつ防備をせず平和を唱えるだけで侵略・征服の被害を免れたという話は聞いたことがない。
 日本の歴史で、最大の侵略行為は鎌倉時代の文永の役、弘安の役に見られる元寇による侵攻であるが、元朝に征服されることを望まない日本は戦いによって応えている。
 いずれにしても、過去、平和を唱えることで侵略されず、被征服の害を免れた国は見当たらない。

 日本国憲法は平和憲法であり、戦争放棄を謳っているから、日本を侵攻、侵略する国はあり得ない、という人がいる。平和を望み、戦争放棄を広く周囲に伝えれば、日本は侵攻されない、被征服国にならない、という人がいる。
 何故なのか。
 80年間の平和は、何故実現したのだろうか。

1.新経済国の勃興と日本国憲法
 戦後世界をリードしたのはアメリカだった。アメリカの精神は1776年の「自由・平等・博愛」のアメリカの独立宣言に見られ、自由、民主主義を基本精神とした世界体制が構築された。
 この期間、全体主義の思想は影を潜め、世界は自由民主主義の下で花開くことになった。
 1948年に発足した「関税及び貿易に関する一般協定」のGATT体制の下、自由貿易が花開き、世界の交易は拡大し、日本はこの制度の下で奇跡の高度経済成長をなし遂げることになった。

 1995年、 農産物に対して
①すべての非関税障壁を関税に置き換え、将来その関税率を低減する。
②市場原理を歪ませ、生産刺激となるような価格政策を削減する。
③価格にリンクしない直接支払いのような財政負担型政策は認める。
で、農産物も自由化するという合意の下で、GATTに代わり世界貿易機関(WTO)が発足することになった。

 2001年11月、中国が143番目のWTO加盟国になり、関税等の特別優遇措置を受け、高関税、元安を背景に徹底した国内産業の保護・育成、外資導入を図り、輸出拡大によって世界の工場としての地位は不動のものになった。

 中国は“社会主義市場経済”を標榜し、政治制度は社会主義、市場は自由市場経済を謳い、自由市場経済の中で急速に経済規模を拡大し、2010年、WTO加盟後わずか10年で中国は日本を超えて世界第2位の経済大国に躍り出ることになり、その8年後の2018年の経済規模はUSA:205,802億ドル、中国:133,680億ドル、日本:49,717億ドルと中国の成長率は突出している。そして2050年には、中国のGDPは約50兆ドル、アメリカ40兆ドル、日本は5兆ドル程度と、中国はアメリカを凌駕し、日本の約10倍の経済規模を有するようになると言われている。

 中国は政治制度は社会主義で、自由民主主義国に対峙する一方、経済面では市場経済で自由民主主義国と一体化し、世界経済に深く組み込まれることになった。

 しかし、急激な経済発展を遂げた中国の国防費の伸びは凄まじく、毎年10%を上回るペースで拡大し、2020年の軍事予算は19兆円と日本の3倍以上、米国に次ぐものになっている。それに併せて中国は陸・海・空・宇宙での軍事増強を図り、AI、サイバーイノベーション、等に力を入れ、その開発能力は今や世界最高水準にまで行きつつある。
 またそれに合わせるように、中国は臨戦体制準備・強化とも言える国防動員法(2010.7)・国家情報法(2017.6)に続き、2020年6月、香港の公平な裁判を無効にする“香港国家安全維持法”を成立施行させた。

経済規模の拡大は同時に中国の社会主義体制を強化し、中国の狙い、目的を明らかにしつつある。アジアインフラ投資銀行(AIIB)と一帯一路計画はセットで中国を世界貿易の中心に据え、中国中心にモノが流れていく状況を作り出す仕組みと言える。

そして、軍事力の強化、高度化はチベット・東トルキスタン(新疆ウイグル地区)独立運動問題、南シナ海(九段線・南海諸島)・尖閣諸島問題”を中国の革新的利益(国家主権と領土保全)を脅かすものとして、国内における言論弾圧等に加えて、人工島建設に基づく南沙問題等、周辺諸国に軍事的恫喝を加えるまでに発展している。

 2013年南シナ海のジョンソン南礁の埋め立てから始まり人工島が次々と建設され、国際仲裁裁判所の判決にも関わらず中国の南シナ海の実効支配が本格化する中、既に南沙諸島では南沙人工島海洋基地群が建設され、国際海洋法条約に反して九段線海域は中国の領土とする宣言がされた。中国の軍事的脅威が日増しに増しており、こうした力を背景にした現状変更に不快感を唱える国は多い。

 世界で世界第2位の経済大国に躍り出た中国は、自由民主主義国になるのではなく、社会主義体制はそのままで、更に習近平が終身書記長になることで、習近平書記長を中心とした全体主義体制が構築されつつあると見て取れる。

 今や中国は巨大な軍事力を背景に、国際判決、国際条約を無効にする強権国であり、習近平を中心とした拡張主義を国是とする“全体主義国家”と言えるものになりつつある。

 こうして、自由民主主義体制下で機能してきた社会・経済体制・制度は、自由民主主義に匹敵するほどの社会主義体制・全体主義国家が現れることにより、戦後80年の平和は終焉を迎えることになる。

 日本国憲法を支えてきた全世界的な自由民主主義体制は、拡張主義を標榜する社会主義・全体主義体制を是とする国が出現することにより、崩れ始めている。

 日本国憲法は平和憲法であり、戦争放棄を謳っているから、日本を侵攻、侵略する国はあり得ない、ということの前提条件が壊されつつある現在、そして自由民主主義体制下で作られた世界の国際法を無視する社会主義・全体主義国家が出現した現在、同じく自由民主主義体制下で作られた日本国憲法は、国際法と同じく無視され、意味を持たないものになる可能性が極めて大きい。

 日本国憲法が、すなわち現行“憲法第9条”が体制の異なる中国から日本を守るのは、ほぼ不可能に近いと言わざるを得ない。

 そしてプーチンが支配するロシアでは現在、民衆の発言、行動は抑えられ、ほぼ全体主義国家と言えるものになっており、中国と蜜月関係にある。

 自由民主主義体制が衰退し、逆に社会主義・全体主義体制が勃興しつつある現在、もはや自由民主主義体制下で作成された日本国憲法におおきな期待はかけられない

2.憲法第9条の概要
 日本国憲法の序文を見てみよう。
 『日本国民は正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために諸国民との協和による成果と主権在民と共和と自由を確保し、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言しこの憲法を確定する。
・・・省略・・・
日本国民は恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持しようと決意した。
われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。
・・・省略・・・
われらはいづれの国家も自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は普遍的なものであり、この法則に従ふことは自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
・・・省略・・・』

 この日本国憲法成立の条件に、「①平和を愛する諸国民の公正と信義が存在すること」。「②平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を除去しようと努める国際社会が存在すること」の二つがある。
この二つが国際社会から消滅するとき、日本国憲法は成り立たなくなる。

 では、この二つの条件が国際社会に存在していることを前提に、憲法9条を見てみよう。

 第九条 ①日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 『9条の解釈として』
1.戦争の放棄について
 1)すべての戦争放棄(これが多数説)
理由)戦争は国際紛争解決手段で、自衛戦争と侵略戦争の区別は困難だから。
「ただし、全ての戦争放棄と自衛戦争は放棄されない」で、ほぼ2分されてる。
 2)侵略戦争のみが放棄(一般に国際法で承認されている)
2.戦力の不保持
 1)自衛権
  (1)自衛権肯定(これが多数説)
    ①自衛戦力
    ②戦力に至らない実力(政府の見解)
    ③武力なき自衛権(これが多数説):警察力を含む総合的平和保障能力
     ・・・警察力であり、外国の軍隊に太刀打ちできない。
  (2)自衛権否定
  (3)集団的自衛権
 2)戦力いついて
  (1)9条、①項と②項の関係

①項の解釈②項前段の解釈9条全体
国際紛争解決手段の戦争放棄とは①項を達するための戦力不保持とは、9条全体
X:一切の戦争放棄α:一切の戦力不保持X-α:一切の戦争放棄9条全体と戦力不保持を規定
Y:侵略戦争のみ放棄α:一切の戦力不保持Y-α:戦争放棄はないが、戦力不保持で自衛の戦力も持てない
Y:侵略戦争のみ放棄β:自衛のための戦力保持Y-β:自衛戦争も、そのための戦力を持つことができる
表1  9条①項と②項の関係

①項の解釈 ②項前段の解釈 9条全体(表の解説)
国際紛争解決手段の戦争放棄について、 ①項を達するための戦力不保持とは
X:一切の戦争放棄 、 α:一切の戦力不保持 X-α:一切の戦争放棄と戦力不保持を規定する。
Y:侵略戦争のみ放棄、 Y-α:戦争放棄はないが、戦力不保持で自衛の戦力も持てない。
β:自衛のための戦力保持 、Y-β:自衛戦争も、そのための戦力を持つことができる。

  (2)戦力(自衛隊の合憲性)
第一:戦争に役立つ可能性のある一切の潜在的能力を「戦力」
第二:外敵の攻撃に対して国土防衛にふさわしい内容を有する軍隊及び実力部隊を「戦力」
   ・・・これが多数説
第三:近代戦争遂行に役立つ程度の装備及び編成を備えたものを「戦力」
第四:自衛に必要な最小限度の実力を超えるものを「戦力」
・・・政府の統一見解はこれ
政府見解:我が国が自衛のための必要最小限度の実力を保持することは、憲法第 9 条の禁止するところではない。自衛隊は、我が国を防衛するための必要最小限度の実力組織であるから憲法に違反するものではない。

  (3)自衛隊の範囲・限界
    〇 装備、地理的範囲、国際協力、
 3.その他
参考)衆憲資第 33 号 「憲法第 9 条(戦争放棄・戦力不保持・交戦権否 認)について~自衛隊の海外派遣をめぐる憲法的諸問題」 に関する基礎的資料 安全保障及び国際協力等に関する調査小委員会 (平成 15 年 7 月 3 日の参考資料) 平 成 1 5 年 6 月 衆議院憲法調査会事務局

3.憲法9条の位置
 一部抜粋であるが、以上のように、憲法9条に対して様々な見解、意見が出されている。
 しかし、戦争は国際紛争解決手段で、自衛戦争と侵略戦争の区別が困難なため、自衛戦争を含めてすべての戦争の放棄を謳えば、自衛隊の合憲性はなくなる。
 また、自衛権の否定は国民の生存権を否定することに繋がり、
日本国憲法第25条
第1項:すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有す。
に抵触する。
 更に、「我が国が自衛のための必要最小限度の実力を保持する」における、必要最小限の実力とはどの程度の実力なのか。中国を念頭におくのか、ロシアを念頭におくのか、はたまた北朝鮮を念頭におくのかで、その基準は大きく異なる。

 多くの人は、直感的に憲法改正は必要だと分かっている。しかし、現在の9条論議は、9条の解釈論議が多く、9条が何故改憲されなくてはならないのかの、論理的説明がなく、ここでも、9条の内容を分類し、細かく説明されているが、何故9条の改憲が必要なのかが分からない。

 憲法序文のエッセンスをもう一度見てみよう。
『この日本国憲法の前提条件には、
「①平和を愛する諸国民の公正と信義が存在すること」。
「②平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を除去しようと努める国際社会が存在すること」
の二つがある。』

 現実の社会では今、この憲法9条成立の前提条件が音をたてて崩れかけている。中国の軍備拡張は、第2次世界大戦におけるヒトラードイツの軍備拡張に勝るとも劣らない巨大なものである。そしてその中国が虎視眈々と目を向けているのが、南シナ海、東シナ海であり、時代は大きく変わろうとしている。今は10年前を見て話をするのではなく、10年後を予測して話をする必要がある。
 もはや日本は70年前創設の自衛隊ではなく、10年後を見据え、正式に国民を守るための組織として位置付けた、正規の「国防組織」を立ち上げる必要がある。

 ロシアが主権国家のウクライナを、国際法規を無視していとも簡単に侵略した行為は、ロシアと親密な中国の明日の姿かもしれない。確かに平和は貴重だし、守らなくてはならない。
 しかし、平和は宥和的な合議で得られるものではなく、努力して守り、汗を流して初めて得られるものであることが、今回のロシア・ウクライナ紛争から明らかになったものと思われる。

 国際関係が憲法制定時と変わった現在、憲法9条は日本を守ることはできない。

 今日本国憲法9条は岐路に立たされている。




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