リハビリの途中だったが、私は2人の警察官に連れられて事故の発生現場に行くことになった。心は怖さで一杯だった。どんなカーブで衝突したのだろうか。下りでスピードを十分減速できないで衝突したのではないだろうか。現場に行く道は比較的よく利用していた道だから、事故の起こりそうな場所はおおよそ検討がついていた。もしも思い描いていた場所だったら、大変な事故になっていたに違いない。私の心は恐怖で一杯だった。
しかし、警察の車は私が思い描いていた場所を通り過ぎた。”えっ”、私は驚きの悲鳴を心の中で叫んだ。”ここではないのか”、”ここでないとすると事故を起こすような場所はどこにもないのだが”、私は不思議な感覚に襲われた。
と、車は減速し、駐車スペースのある所に停車した。”Yさん、降りてみましょう”。私は言われるがままに、下車した。道はほぼ直線で、事故が起こりそうのないところだった。私は尋ねた。”あの!、事故はここで起こったのですか?”。警察官の一人が答えた。”ええ、そうです。記憶がありますか。現場を見ると、少しは記憶が戻るかと思いましたが”。私は絶句した。”ええ、こんな絶対事故の起こりそうのない所で事故があったのですか。申し訳ありませんが、記憶が戻ることはないようですが、ただ、こんなところで事故が起こったことにショックを覚えます”、と答えた。
夜の八時半頃、民家が近くになく、街路灯もない奥深い山道で2台の車はで衝突した。他の車は事故当時一台も通っておらず、衝突を見た人は現地の人、他の車ともに皆無だった。
居眠り運転?。いや、後日になるが、私が退院した後、友人の一人が”事故の起きる5分前に話しをしたのに、5分後の事故に遭うなんて!!”、と驚いていた。私は車中で電話を取ることはなく、電話をする場合、必ず駐車してから話すようにしているから、話をして5分後に居眠りをするなんて考えられない。
何が起こったのか。意識が飛んでいたとしか思えない。神のみが知るミステリーだ。
後日警察で再度現場説明、事情聴取があった。
現場には衝突時に起きたと思われる「タイヤ痕」があり、そのタイヤ痕は明らかに、私の車が中央分離帯を越えていた。警察官はタイヤ痕を丁寧に説明しながら、ドライブレコーダーで当時疾走していたのは私の車だけで、他に車の影はないことが記されていた。状況から時速約60㎞/時で疾走、衝突、それがすべてだった。
事故後の車の残骸を見せてもらったが、私の車は元の姿が分からないほどに崩れ、相手の車も右側前輪、ヘッドライトの部分に私の車の前輪カバー、バンパーなどがめり込み、大きな被害があった。
警察官は言われた。”もしも車の速度がもう5㎞/時速かったら、もしも、もう少しセンターラインをずれていたら、もしも、もう少し運転の位置が違っていたら、あなたは間違いなく即死だったでしょう”。警察官の言葉に、思わず身震いをした。
警察官は、わたしの略歴、家庭状況を聞き取り調査しながら、事故に至った状況を彼らなりに理解された範囲で調書をまとめられた。それは、私が思い描いた以上の内容であり、その文才にいたく感激したのを覚えている。
最後に警察官は言われた。これから検察庁にこの書類を送るけれど、懲役、もしくは100万円以下の罰金を科せられる可能性があるが、よく理解しておくように。
私は事故とは気を付けている場所ではなく、絶対事故が起きないと思われる場所でこそ、事故はおきるのだということを知らされた。
私の事故の原因は、はっきり言ってわからない。ただ言えることは、事故が起きそうにない所に安心し、意識がほかのことに奪われ、注意が散漫になっていたからではないかと思う。それしか考えられない。
事故とは、全く安全と思われるところで往々にして起こることを私は思い知らされた。
このことはあらゆる場面で起こることではないかと思う。安心しきっているところに大きな落とし穴があることに。私の事故を参考にしていただきたい。