遺言書の力-D11


 父が亡くなったのは私が自動車事故で意識不明のさなかだった。悲しいことに自分が病院にいる間に妹が葬儀を取り仕切り、無事に葬儀が終わり、その後の四十九日には曲りなりにも私も出席することができ、滞りなく法要を終えることができた。

 父の一生は必ずしも順風と言えるものではなかった。病弱の娘を抱え、4人の子供がいたが2人が早期に他界し、母も父より先にあの世に旅立った。

 私は、利己心、人の恐ろしさ、醜さについて、恥ずかしい話であるが、身内を一つのサンプルにしてお伝えしたい。

 残った子供は私と妹の2人で、病弱の妹は一時結婚をして家を離れたが、病弱ゆえに嫁ぎ先で問題が発生し、当時まだ健在であった母と父の二人は妹を引き取るために嫁ぎ先に向かった。その時はすでに2人の子持ちであったが、父と母は先方の妹の夫と話をし、苦渋の決断として、両親は妹と2人の子供を引き取り、2人の子供は実家で育てることになった。

 2人の子供は基本、母が面倒を見ることになり、母の手で子供達は成長していった。そして数年が経ち、妹の病状も落ち着き、母の手から徐々に名目上は母子家庭の妹の手に養育の負担は移っていくことになった。

 しかし病弱で世間で働くことをしない妹は国からの補助で生活をしていたが、子供たちが成長するにつれて増える養育費の増加分については自分で賄うことができず、すべて父が負担し、妹は父と母の庇護のもとに、生活することができていた。

 日常の暮らしの指導は母の指導で、家計の面では父の支援で妹は日々を過ごすことができていた。日常生活で基本、妹が困ることはなかった。生活で困れば父に言えば金銭的支援が得られ、日常生活の諸側面で困れば母の支援が得られ、こうした中で、妹はあえて世間で働くことはなかった。

 母子家庭ということなのか、妹の長男が高校に進学するとき、奨学金がおりることになった。

 ある時、事件が起きた。それは寄宿舎で生活している長男が高校生の夏休みのときだった。

 父は長男に言った。「おい!、もう夏休みだろう。たまには帰ってこんかい。」

 長男は答える。「だって、お金がないもん。」

 父は言う。「嘘言え、毎月奨学金がお前のところに送られているはずだぞ!!」

 長男。「イヤー。僕は一円ももらっておらんよ。」

 父。「エー、どしたんや。お前、お母さんからもらっとるんやろ。」

 長男。「えんや。もらっとらん!」                                              

 ここで初めて実は妹が長男の奨学金をくすねて、妹が使っていることが発覚した。

 妹はフィリピンの魚の養殖業に投資し、200万円をなくしていた。長男の奨学金が何に使われたかは不明だが、父の援助の一報、妹の懐が温かったことから、こうしたことができたと想像される。

 しかし、この話も父の一時の怒りで終わることになり、妹のこうした癖はその後治ることがなかった。

 父と母の体調が思わしくなくなってきたとき、私が農地整理、雑草処理を引き受けることになった。これまで妹が体の調子が思わしくない父に人を雇って人夫賃を払うように言い、父が人夫賃を払って雑草処理が行われてきた。

 しかしこの経費は年間40~50万円と大きく、私が父の代わりを引き受けてからは、私が単独で雑草処理、農地整備などを行うことにした。

 家庭では母の容態が悪化し、家事全般が母から妹に移っていった。

 病弱な長男がまだ存命なため、私の住居・住まいは遠方にあり、作業の都度里帰りという手段が取られ続けることになっていた。

 母が死に、そして兄が死に、父が養老施設に世話になって、名目的な家の実権が妹に移ったとき、様々なことに手を出していた妹は、父に無断で農機具を売り払い、また反物などを売りに出していた。それはすべて私がいない間の出来事だった。その売り上げ代金は負債償還に消えていた。

そして父が死んだ。

 父が死んでしばらくして妹が私に言ったことに、驚きが走った。「この宅地・家屋は私が住み続けてきたから、私が引き継ぎます。そして私が好きなように使います。私はここで生活してきたのよ。遠くで両親と離れて生活している兄さんのものではないでしょう!!」と。

 田舎の財産といえば、田畑、山林、原野と宅地・家屋であり、当家の財産価値は宅地・家屋が田畑、山林、原野の約5倍の値打ちがある。

 その5倍の価値の宅地、家屋を自分のものにし、田畑、山林、原野を私に譲り、雑草処理、農地整備をさせようとする妹の無頓着な言い方に、瞬間的に大きな憤りの気持が沸き上がったのを覚えている。

 世間でほとんど働いたことがなく、両親の庇護のもとに守られて来た者が、両親の死後、押さえる者がいなくなったことをこれ幸いに、自分の欲望を前面に出し、そしてこの主張をいつまで経ってもひるがえすことはなかった。

 裁判にしても費用がかかる。

 田舎の家は、田、畑、山林、原野と住居が一体になって初めて成り立つ。先祖はこの家を守るために、田、畑を耕し、山林を守ってきた。

 そして今、〇〇家は田、畑、山林と住居が分離し、解体の瀬戸際にある。

 しかし、田舎は高齢化が進み、家の存続は難しい。今解体すべきか。しかし解体は何時でもできる。それでは何時か?その時期については、後を継ぐ者が苦渋の決断をしなければならないときがくる。

しかし、今ではない。

 しかし、なぜこのような事態になったのか。それを考えなくてはならない。

 それは、父が肉親を信じたところにある。わが子が、ましてや妹がこのようなわがまま、無理を言うことなど、誰が想定できただろうか。勿論父は想定していなかった。

 だから、口頭で「〇〇家の後継ぎとして頼む」と言えば、すべて丸く収まると考えた。

 しかし、そうではなかった。父が跡継ぎとして想定してもいなかった「妹」が、父の死後、一家の主のごとく、彼女に無用な田畑、山林を除いて強く家屋の所有権を主張するとは。

 人の心は分からない。人は化ける。たとえそれが身近な肉親であっても。いつ極度に利己的な人になるか、自分だけの主張を押し通す人になるかは、誰にも分からない。

 しかし、この事件の最も大きな問題は、「父が相続をはっきりさせなかった」所にある。口頭で済むと考えた所にある。しかし、そうではなかった。

 家庭裁判所で確認した。口頭による相続の引継ぎは効力があるのか、と。 答えは“ノー”だった。

 父が絶えず口頭で引き継ぎを頼むと言ってきたことは、すべて無効ということだ。

 では、こうした相続問題を滞りなく解決する手段はないのか。いや、あったのだ。その手段は「遺言書」だった。

 自筆で遺言書に自分の思うところを記載し、実印を押せば、その効力は発揮する。

 誰が何と言おうと、遺言書に記載されているもの以外のものはすべて空しいものとなる。

 遺言書については、後日もう一度話すことになると思うが、今多くの人は遺言書のことなど、念頭にないものと思う。

 しかし、遺言書がこれほど重要なものになるとは、私は気が付かなかった。遺言書さえあれば、相続関係は何も問題なく進む。

 父はこの重要性に気が付かなった。そのそのために、その後大きな禍根を残すことになった。

 多くの人が元気な間に、「遺言書」をつくっておかれることをお勧めしたい。

(遺言書は何時でも書き換えることができるので、いざというときのために、早めに作っておかれたほうが良いかと思う。)

 私のように家族争議がおきないために!!


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です