病院での暮らし D2


 私が自動車事故で入院したのは最初はH病院だった。約2週間の病院生活だったらしい。”らしい”というのは、この間、全く記憶がなく、入院していたという実感が全くないためである。したがって、H病院での病院の暮らしを説明することはできない。
 私に意識が戻ったのは、一時的ではあったがH病院からT病院に転院するときで、その時に一時的に意識が戻った。その時に断片的に聞こえてきたのは、腰椎の骨折手術をするためにT病院に転院するという言葉だった。後から聞いた話では、H病院は肺への出血防止手術をするための病院だったらしい。

 しかしこのとき、私は状況を理解できなかった。麻酔をうっていたせいかもしれないが、痛みもなく、日常生活とあまり大きな違いを感じなかったせいかもしれない。私はその前に夢をみていた。それは長い一日の運転から無事にH病院に到着し、そこで助言されたことは、健康診断をして、少し病院で休みましょう、ということだった。その映像は夢ではなく現実のものとして今でもしっかり脳裏に焼き付いている。この夢の延長が今なのだという感じだった。

 そして約一週間後私の意識はT病院のベッドの上で完全に戻ることになった。寝返りをうったり、起きようとすると腰に痛みを感じたが、ただ寝ているだけの分では痛みは感じなかった。
 この時までにすでに私は自動車事故で腰椎を骨折し入院していると知らされていたので、痛みの原因は理解できていた。
 私は身の回りを見て驚いた。パンパースがあり、水筒、タオル、洗面用具一式、ティッシュ、濡れティッシュ、イヤホーンなど、生活するのに必要なものが一式そろえられていた。私が家で見たことのないものだけだったので、病院がそろえてくれたものとばかり思っていた。

 そして意識が戻った中での入院生活が始まった。そして驚きの生活が始まることになる。朝昼晩の三食の食事が出され、優しくいたわりの言葉をかけられ、いたく感激することになった。
 夕方には一日のお通じの回数を尋ねられ、また体温測定があり、常に健康チェックが優しく進められた。そして一週間に一度の入浴タイムがあり、優しく説明を受け、世話をされることになった。

 私が一日にすることといえば、寝て食べて、トイレに行き、歯磨きをし、また寝て食べての繰り返しだった。しかし、この間一度も大きな声をあげられたこともなく、まさに夢のような生活だった。日本の病院の素晴らしが時々”云々”されるが、まさにそれを体験できたことは大きな喜びだった。
 そして私はリハビリのためにさらにS病院に転院することになった。

 S病院はT病院と同等、いやそれ以上に入院患者への配慮があった。私に食欲がなく、残すことが多かったとき、好きなものがあるかと言われ、おにぎりと答えたとき、次のメニュウーに海苔巻きのおにぎりが加えられ、私の食欲が刺激され、残すことが少なくなった記憶がある。
 どの病院でも親切にされ、それに対する感謝はいくらしても足りないくらいに思う。
 また、後で知ることになるが、パンパース、洗面用具一式、水筒、タオルなどは病院がとりそろえたものではなく、すべて妻がそろえたものであることがわかった。妻にも感謝をいくらしても足りないと思う。

 自動車事故によって多くの苦痛を味わってきたが、しかしこれまで知らなかった世界、見えなかった世界が見えたことは私のこれからの人生の大きな宝になるものと確信している。

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