―主流派経済学が導く未来―
主流派経済学の盲点として、①金本位制と貨幣論、②セイの法則、③銀行機能と近代経済学、④リフレ政策、⑤信用貨幣と信用本位制、⑥近代経済学の成立条件について、見てきました。
ここで、主流派経済学の「経済認識」、「銀行機能への無理解」が目を引くことになりました。
こうした経済認識・銀行機能認識から導き出される「経済対策」は、大きな課題を抱えたものになることが予想できます。
「供給は自ら需要を作り出す」という「セイの法則」は、七年戦争、露土戦争、アメリカ独立戦争、フランス革命、ナポレオン戦争など動乱の時代に導き出されたものであり、常に物が不足し、何を作ってもすぐに売れる時代でした。
したがって、「セイの法則」は「超過需要」のインフレ経済を説明するものであり、インフレ経済の時になりたつものであり、「超過供給」のデフレ経済を説明するものではありませんでした。
言い換えれば、主流派経済学はインフレ対策の学問であり、デフレ経済下ではあまり有効ではない、使えないということが想像できます。
常に「作れば売れる」という需給均衡が成り立つことを前提に、主流派経済学は消費者と生産者の取引はすべて正確に知られており、取引における不確実性はないものとして理論を展開することで、一物一価、需給均衡によって価格が決まる一般均衡分析のような精緻な、多段連立市場均衡方程式を導くことに成功しました。
不確実性がなく価格が決まるということは、銀行の信用創造機能に目を向ける必要は無くなり、銀行機能を度外視した経済学が作り上げられることになります。
言い換えれば、銀行は貨幣を企業に貸し出しますが、主流派経済学は銀行の信用機能を考慮していないために、また中央銀行の貨幣を無限に発行できる貨幣発行権を考慮しないために、貸し出すお金は消費者が預金したお金を貸し出すことになります。こうすることによって“もの”と“貨幣”は市場で均衡点が見つかるという美しい需給均衡理論がつくられることになりました。
近代経済学が成り立たなくなることに、中央銀行には通貨発行権があり、通貨を基本、いくらでも発行することができ、この通貨発行権をモデルに導入すると、通貨は市場均衡とは別にいくらでも発行されることが可能になるために、消費者の預金、生産者の借り入れの等式が成り立たなくなり、需給均衡点が見出せなくなり一般均衡分析は成立しなくなります。
したがって、ワルラスの一般均衡分析では中央銀行の通貨発行権は考えず、また不確実性が無い世界を考えるために信用機能を考慮しなくてもよくなり、生産者への貨幣供給量、貸し出しは消費者の預金量に等しいという前提で分析を進めることが可能になります。
では、主流派経済学の世界では、何が問題になるのでしょうか。
その課題を挙げれば、
1 「セイの法則」
超過需要経済にしか成立しない「セイの法則」を経済学の基本に据えたために、この仮説から需給は必ず均衡し、需給が均衡しない場合に発生する「不確実性」の問題が捨象されました。また商品貨幣論を採ることによって流通している貨幣に価値があるとして、市中銀行の預金通貨には価値を認めないことになります。
これによって市場に出回る通貨は現金通貨に限られ、預金通貨は視野からはずれ、結果、マネーストックは現金通貨によって規定されることになります。
現実は預金通貨によって経済は動いているのですが、預金通貨を視野からはずすことによって市場は現金通貨によってのみ動いていると考えることができ、市場に流れる貨幣量を完全に把握できるようになり、したがって貨幣の基礎的マクロデータは既知として一般均衡分析は展開できることになります、
因みに、マネーサプライと経済成長の関係と国内の現金通貨の推移を見ておきたいと思います。 図1で、マネーサプライと経済成長について見れば、
図1から、経済成長があればマネーサプライが急増し、逆に、マネーサプライが拡大すれば、経済成長も拡大することが分かります。明らかに経済成長とマネーサプライの間には正の相関があることが分かります。
図2で、わが国におけるマネーサプライの推移を日銀データで見ますと、
2003年~2022年にかけて、現金通貨規模はほとんど変化していません。
図1で見たように、市場での交換経済の拡大、言い換えれば供給通貨の拡大が経済成長の指標になりますが、現金通貨の拡大はほとんど見られません。経済成長には通貨の拡大が伴いますが、現金通貨の拡大がみられなかったこの時代、経済成長はほとんどなかったことになります。
しかし、預金通貨は伸びています。
因みに、この期間のGDPの推移を見ますと、
2008年のリーマンショックまでは、現金通貨、預金通貨ともに横ばい状況で、名目GDPもほぼ横ばい状況が続いていますが(実質GDPよりも名目GDPが消費者の感覚に近いので、名目GDPを参考にします)、リーマンショックとコロナウイルスで急激に落ち込んだGDPも預金通貨の拡大基調から持ち直す様子が窺われます。
これからGDPは現金通貨よりも預金通貨によって規定されている様子が窺われます。
したがって、経済成長には商品貨幣よりも信用貨幣(預金貨幣)が大きな影響を及ぼしていることが分かります。
ところで銀行に与信制度がないものとして貨幣の貸借を考える場合、そこには一過性の貸借対照表が形成され、支払準備率などは一切考慮する必用はあませんから、額面通りの貸付金、借入金として処理され、現金の動きは完全に掌握できることになります。この貨幣の量、動きを完全に掌握することが、近代経済学の“ミソ”です。
このことの最も周知の事例が「国債発行」による累積債務問題です。現金通貨を基本貨幣にす
ることで国債の発行自体が負債の累増として計上され、国債が有する経済拡大機能は一切封印されることによって、国民負担の増加だけが問題視されることになりました。
現金通貨が国の経済成長の証となるなら、どうして現金通貨を増やすことができないのでしょうか。それは「ハイパーインフレーション」が到来するということで、政官学は声を大にして、現金通貨の拡大には反対します。
もしも現金通貨の拡大でハイパーインフレーションが起こるようなら、その前に通貨発行を止めればよいだけの話であって、反対する人は、過激な言葉を並べて自分たちの言い分を通そうとします。
2 デフレ下の経済理論の未整備と銀行業務への無理解
1)デフレ下の経済理論の未整備
インフレ経済理論は「供給はそれ自ら需要をつくりだす」という「セイの法則」を基に、
① 無数の消費者・生産者の存在
② 財の同質性
③ 情報の完全性
④ 市場への参入・退出の自由
という完全競争市場を想定して作られました。
その後、限界理論と市場均衡分析を取り入れたレオン・ワルラスらの新古典派経済学が誕生することになります。代表的なものにレオン・ワルラスの一般均衡理論があり、数理分析を発展させているのが特徴です。
①ワルラスの特徴は、売れ残り(超過供給)や品不足(超過需要)は自然に解消され(ワルラスの法則)、
② 市場全体の需要と供給は一致する(一般均衡理論)、
というところにあり、「セイの法則」を色濃く残しています。
したがって、ワルラスの法則によれば、売れ残り(超過供給)や品不足(超過需要)は自然に解消されるため、何もしなくても良いとするものでした。
超過需要の経済であれば、「欲しい人は我慢をすればよい」のであって、需給は均衡します。
しかし、超過供給の場合には生産者は我慢をすることができません。生産を止めることは、すなわち生活ができなくなるこを意味するからです。
その後、世界大恐慌が発生することによって、ワルラスの法則は成り立たないことが実証されました。
これに解をあたえたのが、ジョン・メイナード・ケインズ(J・M・ケインズ)で、『雇用・利子および貨幣の一般理論』を世に出し、経済学の分析・思考方法を大きく変えることになりました。
ケインズ経済学の核心部分は、「有効需要の原理」で、従来の経済学では、「セイの法則」を暗黙に前提としていたために、失業や恐慌は一時的現象で経済の自立的回復によって解消されるというものでした。
しかし現実は違いました。大恐慌が発生したのです。大恐慌とは、デフレの激しいものです。いいかえれば、デフレ経済下では「ワルラスの法則」は成り立たないことが実証されました。
ということは、「ワルラスの法則」に依拠して成立した「一般均衡理論」は、デフレ経済下では使えないことが実証されたことになります。
しかし現在の経済学で隆盛を保っているのは、まだ新古典派経済学で培われた「一般均衡理論」をより精緻化した理論が経済界を席巻しています。そして精緻化した理論に目を奪われた多くの新進気鋭の経済学者達が一般人には理解が難しい更なる難解な理論を振りかざし、経済界での主流たる地位を不動のものにしようと努力を重ねています。
しかし理論がいくら精緻化されようとも、理論の出発点がインフレ経済を想定したものである以上、デフレ経済を正常に導くことはできません。
デフレ経済で困っている日本を、インフレ経済の処方箋で対処しようとしている政官学は、今一度自分たちの理論に間違いがないか、謙虚に反省する必要があると思われます。
とすると、「セイの法則」、「ワルラスの法則」「完全競争市場の条件」で、どこを変え、何を追加しなくてはならないのでしょうか。
まず、セイの法則、「供給はそれ自らが需要を作り出す」という命題は、デフレ経済では改められる必要があります。
アンチ・セイの法則を掲げれば「需要はそれ自らが供給を作り出す」と言い換えることができるかもしれません。
では、完全競争市場の条件はどうでしょうか。
① 無数の消費者・生産者の存在
② 財の同質性
③ 情報の完全性
④ 市場への参入・退出の自由
ここで、セイの法則、「供給はそれ自らが需要を作り出す」では、設備投資をして生産すれば売れることから、需給情報は基本的に必要ではなく、情報の完全性を仮定しても良いかもしれません。
しかし、「需要はそれ自らが供給を作り出す」の場合の「需要」は不確かなもので、何が消費者の満足を満たすのかは分かりません。もしも消費者需要が分かっていれば、それに対応した設備投資をすれば生産者は利益を確保できますが、それが分からないから苦労することになります。したがって、情報の完全性を仮定するには無理があります。すなわち、アンチ・セイの法則では、完全競争市場ではなくなります。
では、ワルラスの、
①売れ残り(超過供給)や品不足(超過需要)は自然に解消され(ワルラスの法則)、
②市場全体の需要と供給は一致する(一般均衡理論)
はどうでしょうか。アメリカ発世界恐慌では、売れ残り(超過供給)や品不足(超過需要)は自然には解消されませんでした。
そして、市場全体では需要量に応じた供給量ということで、超過供給で売れ残りが出ることになり、一般均衡理論は成立しなくなりました。
「ワルラスの法則」も、「セイの法則」の上になりたつ法則であることが恐慌を通じて明らかにされました。
したがって、デフレ経済下では“アンチ・セイの法則”の「需要はそれ自らが供給を作り出す」をベースにした、不完全競争市場
①無数の消費者・生産者の存在
② 財の同質性
③ 市場への参入・退出の自由
【④情報の不完全性】
を想定し、更にケインズの「有効需要の原理」を加えた「一般市場均衡論」に代わる新しい「デフレ経済」用の経済理論を打ち立てることが求められます。
学問的には、ワルラスの「市場均衡理論」に、「不確実性の経済学」、そして方程式の外生変数としての「政府の役割(有効需要の原理)」を加えた、新しい「一般市場不均衡理論(仮名)」を作り上げる必要があります。
2)銀行業務への無理解
(1)信用貨幣論への無理解
商品貨幣論を採る主流派経済学では、お金そのものに価値があるのであって、銀行機能の一つ「信用創造機能」によって生み出される「預金通貨(信用通貨)」には価値が認められず、結果、市場で流通している現金通貨にのみ価値が置かれることになります。
しかし「信用貨幣論」が市場を支配している現在、貨幣は信用創造よって「預金貨幣」としてかなりの額まで多くすることができます。
国債発行は国債発行額だけにとどまらず、銀行の信用機能を刺激して、更に経済を拡大させ、経済成長に寄与することになります。
国債発行はただ単に負債の増加を促すのではなく、それ以上に銀行の信用機能によって資産の増加を促す非常に重要な経済政策手段となっています。
では何故政官学が国債発行を止めるように、動いているのでしょうか。
簡単に言えば、勉強不足ということだと思います。過去に努力して身に着けた知識は簡単には手放したくないという、奢りからくるエリート意識がそうした行動に出させていると思われます。
周囲の声に頑として耳を貸そうとしない彼らの行動が国民を苦しめることになるのですが、また彼らは国民を苦しめているという意識すらないのかもしれません。
(2)国債のマネタイゼーション(財政ファイナンス)
国債のマネタイゼーション(国債の貨幣化)は、「財政ファイナンス」とも呼ばれ、国(政府)の発行した国債等を中央銀行が直接引き受けることをいいます。
日本では、日本銀行における国債引き受けは、財政法第5条によって原則として禁止されていますが、ただし、金融調節の結果として保有している国債のうち、償還期限が到来したものについては、「財政法第5条(ただし書き)」の規定に基づき、国会の議決を経た金額の範囲内に限って、国による借り換えに応じています。
ところで、日本銀行の利益の大部分は、銀行券の発行と引き換えに保有する有利子の資産(国債、貸出金等)から発生する利息収入で、これら通貨発行益は日銀が利益として計上します。その利益から法定準備金、配当金をひいた残りの額が、「国庫納付金」として、政府に収められることになります。
したがって、日銀が国債を引き受ければ、利払いが当期利益として日銀に計上され、その利益は国庫納付金として政府に収められることになります。
ここから見えてくるのは、政府が国債を発行し、日銀が国債を引き受ければ引き受けるほど国庫収入は増え、財政措置がとりやすくなるということです。
したがって、極端なことを言えば、政府が国債を発行して財政を刺激する一方、国債を日銀が引き受けることにすれば、日銀への利払いが政府に舞い込むことになり、政府が手を出しにくい分野への財政措置をし易くなることが類推できます。
3 主流派経済学が導く未来
デフレ経済時代に、インフレ経済に対応する理論での経済政策、また様々な重要な要因を捨象し、間違った仮説をそのままに経済政策を進める「主流派経済学」が導く未来は、間違いなく、国民に賃金低下と増税をもたらす、暗黒の世界になることが断言できます。
正しい理論、正しい政策で国民が苦しむのは仕方ないかもしれませんが、明らかに政官学の間違いで国民が苦しむのは許されません。
その結論は既に出ているのに、未だに過去の権力・栄光に固執し、現状を改めようとしない政官学は国民にとって不要としか言いようがありません。
(続き)