30年デフレの原因と日本の未来①


―経済学の生い立ちと現状―

 日本は既に30年近くデフレ経済に見舞われ、大方の労働者の賃金は毎年低下する状況に見舞われています。

 GNPもこの間、ほぼ平行線を辿っており、日本に成長はみられません。

 これに対して各国の経済成長は著しく、特に中国の経済規模はアメリカに肉薄するものになっており、近々アメリカの経済規模を追い抜くとも言われています。

 そして2019年12月、中国武漢から始まったコロナウイルスは労働環境を一変させ、経済状況に激変をもたらすとともに、インバウンド経済を直撃し、第3次産業の衰退が進み、日本経済のデフレ環境はますます厳しいものになっています。

 そして、こうした日本の経済状況に追い打ちをかけるようにロシアーウクライナ紛争が勃発し、ウクライナを支援するEU・米国等西側諸国とロシアの対立から、ロシアからの資源供給が停止され、またウクライナからの穀物輸出ができなくなるなどの問題が発生し世界の食料・資源の高騰が引き起こされることになり、物価上昇に拍車がかかることになりました。

 更にコロナ対策として取られた国民への多額の財政支援は欧米ではインフレ圧力となる一方、日本ではその支援額の少なさからデフレ体質がそのままに、欧米の政策金利引き上げにともない急激な円安が始まり、輸入物価の高騰をもたらすことになりました。

 こうして現在、日本はデフレ体質そのままのところに、コロナ、資源高、円安という3つの大きな経済障害が引き起こされることになり、一部の製造業を除き、労働環境、特に第三次産業における労働環境の更なる悪化、物価上昇という大きな問題に日本経済は直面することになりました。

 このことは、日本の消費者にとってみれば、賃金水準の更なる悪化の中での物価上昇ということになり、不景気下での物価上昇という「スタグフレーション」に進むことが予想されるものになってきました。

 皆さんは辛抱強いから「スタグフレーション」にも耐えていかれるとは思いますが、デフレ経済下で進んできた会社の経費削減策の一貫としての派遣社員、契約社員、パート労働者などの非正規社員の増加は平均賃金をますます減少させ、この低賃金化のしわ寄せは特にパート労働に頼る母子家庭など、貧困家庭を直撃することになります。

 日本は先進諸国の中では貧困率が最も高いと言われていますが、こうした世帯を「スタグフレーション」は直撃し、日本の貧困化はますます進むことが予想されます。

 こうした状況にありながら、日本政府は経済政策の変更・変革は想定しておらず、現状の経済政策を今後も踏襲し、この迫り来る日本に、特に直結する経済恐慌に日本政府は対応しようとしています。

 皆さんはこうした日本の頑な30年にも及ぶデフレ政策を不安に思われていることでしょうが、まさに現状のこの政策こそが日本の将来を無くし、某国の提案ではありますが、米国と某国がハワイ諸島を起点に太平洋を分断し、太平洋の東側を某国が支配し、日本が某国の属国、知財植民地にされることを推し進める愚策、基本要因・基本原因となることを知る必要があります。

 こうした状況下での日本の行く末を、経済の方から追ってみることにしたいと思います。

1 経済と経済学

1)デフレ経済の経験

 (1)日本の場合

 過去、日本でも、米国でも同じように深刻なデフレ経済に見舞われたことがありました。

 1914~1918年に渡る第一次世界大戦は日本に空前の戦時景気をもたらしましたが(バブル景気)、戦後各国が生産基盤を回復すると戦時景気は一気に消失することになりました(バブルの崩壊)。その後は1923年9月の関東大震災、1927年の金融恐慌を経験しながらもインフラ・設備投資等で景気後退・回復と景気は一進一退を繰り返していました。

 こうしたとき、1929年(昭和4年)7月、立憲民政党の濱口内閣は経済面で「金解禁・緊縮財政・私募債と減債」を掲げ、そして日本をアジアの国際金融市場の中心とすることを夢に見る井上準之助蔵相は緊縮財政を進める一方、金本位制への復帰、物価引き下げ策の実施、そして市場へのデフレ圧力による産業合理化を進めることによって高コスト、高賃金の問題を解決しようとしました(バブル崩壊後のデフレ経済への移行)。

 日本政府は1929年11月に1930年1月11日をもって金解禁に踏み切る大蔵省令を公布し、それとともに、金解禁前の為替相場を、実勢1ドル=2.151円であったものを、生産性の低い不良企業の淘汰で日本経済の体質改善を図る意味を込めて、1ドル=2.006円と円高の旧平価解禁を実施しました(円高政策による輸出の減少)。

 折しも、1929年10月24日、アメリカ合衆国のニューヨークウオール街で起こった株の大暴落は、世界恐慌となって世界を震撼させました。

 金解禁と円高政策による対外輸出の激減は相対的な輸入増加により正貨(金)を海外に大量に流出する一方、1930年3月には鉄鋼、農産物等の商品市場の価格急落、次いで株式市場で株が暴落し、金融界を直撃することになりました。デフレの急伸により、経済規模は急速に収縮して国民の購買力は低下し、未曾有の景気後退に陥っていきました(昭和恐慌:現在の日本経済)。

 1931年12月、立憲政友会の犬養毅内閣の下、高橋是清蔵相は直ちに金輸出を再禁止し、民政党政権が行ってきたデフレ政策を180度転換し、積極財政によって需要を創出し、それに伴う民間設備投資の拡大策に舵を切り直しました(今の財務省にこれができない)。

 その一方で金輸出再禁止措置によって円は急落することになり、円安に助けられた企業は輸出を伸ばし、輸出の拡大とともに景気も回復し、1933年には他の主要国に先駆けて恐慌前の経済水準に回復することになりました。

  こうして金本位制の停止、積極財政によって日本のデフレは克服され、恐慌は回避されることになりました(恐慌とは、デフレの最もひどい状態)。

  (2)アメリカの場合

  第一次世界大戦(2014~2018年)終了後のアメリカは疲弊したヨーロッパ諸国に代わって世界の新リーダーになりました。1920年代、インフラ整備、モータリゼーション、新家電製品等の大量生産大量消費社会に突入したアメリカは好調な経済を背景に、過剰な資本が不動産、株式に向かいバブルを派生させました。 

 その後、不動産会社の倒産が散見されるようになり経済調整の足音が聞こえはじめていた1929年10月24日、アメリカ合衆国のニューヨークウオール街で起こった株の大暴落は、バブルを崩壊させるとともに、投資家は株の損失を埋めるために資金の引き上げを始め、実体経済の不況にさらに金融危機が拍車をかけ、強烈な景気後退が引き起こされ、アメリカで恐慌が発生することになりました。それとともに植民地を有するヨーロッパでは高関税政策によるブロック化が進み、国際貿易は収縮し、デフレ不況は瞬く間に世界的規模で拡散することになりました。

 1932年に大統領になった民主党のフランクリン・ルーズベルトは、ケインズの「有効需要の原理」に基づきニューディール政策を掲げ、テネシー川開発公社、農業調整法、全国産業復興法等を設立・制定し、歳出を大幅に拡大する積極財政で、需要を創出し難局に対応することになりました。その後、第二次世界大戦による戦時需要の急拡大により、恐慌は解消されていくことになります。

 恐慌とは、供給能力に対して需要の極端な落ち込みであり、売上不振により産業活動が麻痺することを言います。需要の急減を意図的に回復させるためには財政措置が必要であり、消費者・企業への当面の資金供給とともに、積極的財政措置により民需回復・拡大、減税措置、そして民需回復に伴う民間設備投資、生産・供給能力増強を促すための金融緩和措置によって景気は拡大・回復します。すなわち、積極財政、減税によって財の需要を喚起するとともに、金融政策によって資金需要に応え、民間設備投資の拡大、生産・供給能力の増強を促すことで雇用の増加を図り、かつ雇用増加に伴う労働所得の改善を実現することで各種財に対する更なる需要を喚起し、雇用拡大の好循環を実現できます。

 ケインズ以前の財政政策は「均衡財政」でした。

均衡財政とは、「経常支出総額が経常収入総額に等しい財政状態」のことを言い、「税金で得られ収入の分のみ、政府は支出する」という状況のことをいいます(現代日本の緊縮財政)。問題は均衡財政では一度不景気に陥るとそのスパイラルから抜け出せなくなり、不景気で企業の売り上げが減れば、従業員の給与が減ります。従業員の給与が減れば、税収入が減り、税収入が減れば政府の支出が減ります。政府の支出が減れば、雇用が減少し、雇用の減少は不景気を拡大させます。つまり均衡財政を続ける限りは、不景気から抜け出せないとケインズは言いました。

したがってケインズは、不景気の時には積極的に財政出動をして、公共事業等に投資して雇用を生み、雇用が生まれれば、国民所得が増えますから景気は回復し、税収も増え、国の借金を返すことができると考えました。

 いずれにしても、政府が不景気時に行うことは積極財政であり、緊縮財政、均衡財政ではありませんでした。

 以上のように、過去、日米で強烈なデフレを経験してきましたが、デフレを積極財政で乗り越えることができました。

 こうした状況に経済学はどう応えてきたのでしょうか。

2)経済学

  (1)セイの法則とケインズ経済学

 「セイの法則」とは「供給はそれ自ら需要をつくりだす」という命題に要約される経済学上の見解で、財市場で「全体としての需要と供給はつねに等しい」と考える体系が「セイの法則」であると考えられています。

 フランスの経済学者ジャン=バティスト・セイによって唱えられて「セイの法則」などと呼ばれ、「近代経済学の父」リカードが採用し、マルクスワルラスヒックスといった多くの経済学者によって継承されています。

 体系だった経済学は18世紀後半、労働価値説を理論的基調とするアダム・スミスマルサスリカードらの古典派経済学から始まります。

 しかし19世紀後半から限界革命が起こり、古典派経済学に限界理論と市場均衡分析を取り入れた新古典派経済学が誕生することになります。代表的なものにレオン・ワルラス一般均衡理論があり、数理分析を発展させているのが特徴です。

 ワルラスの特徴は、①売れ残り(超過供給)や品不足(超過需要)は自然に解消され(ワルラスの法則)、②市場全体の需要と供給は一致する(一般均衡理論)というところにあり、「セイの法則」を色濃く残しています。

 こうして「消費者は、お金をどのように使うのが最適なのか?」また「企業は商品をどの程度作り、供給すれば最適なのか?」を研究する「ミクロ経済学」が誕生することになりました。

 つまり、「ミクロ経済学」はアダム・スミスの見えざる手が基礎となる理論を、「需要曲線と供給曲線を使って最適価格を見出す」ことを、より詳細に分析し解明していこうという学問と言えます。

 1936年、ジョン・メイナード・ケインズ(J・M・ケインズ)は『雇用・利子および貨幣の一般理論』を世に出し、経済学の分析・思考方法を大きく変えることになりました。

 ケインズの雇用・利子および貨幣の一般理論』は、1929年10月24日のアメリカ合衆国のニューヨークウオール街で起こった株の大暴落に始まる世界恐慌に既存の経済学が有効な解を示せないことから、ケインズが新たな視点から不況対策の方法を提示したものです。

ケインズ経済学の核心部分は、次の2点になります。

  • 有効需要の原理

 従来の経済学では、「セイの法則」を暗黙に前提としていたために、失業や恐慌は一時的現象で経済の自律性が働いてそれらは調整されると考えていました。しかし、恐慌は解消されませんでした。

 これに対して「有効需要の原理」は、需要が供給(生産)を決めるものであり、その需要の大きさが常に完全雇用を保証するものではないとして、失業・不況の存在理由が説明されることになりました。

 したがって、完全雇用を達成するためには需要の不足分を埋める必要があり(有効需要)、そのための政策として、低金利政策による投資の刺激や、財政出動(需要の創出)などが提起されました。

 これらは、「有効需要の原理」によって初めて可能となったのです。

  • 流動性選好説

高度な資本主義社会では、貯蓄を有価証券か貨幣のどちらで保有するかを決定します。これを流動性選好といいます。

 不況下では投資の機会は少なく、貨幣は余り、証券価格(=低利回り)は高止まりしています。そこでは、政府が貨幣供給を増やして利子率を低くし企業の投資を刺激しようとしても、貨幣は流動性選好によって保有されるだけで、証券購入に向かわず、したがって利子率は下がりません。したがって、不況対策としての金融政策は無効となり、より直接的な刺激策としての財政投資が有効になります。

 こうして、ケインズ型マクロ経済政策が実施されることにより、不況は克服されて行きました。

ケインズ経済政策の実施によって資本主義経済を変革させた影響は、一般に「ケインズ革命」と言われています。

 (2)近代経済学

 近代経済学は、19世紀半ばの「限界革命」以降の経済学体系のうち、マルクス経済学以外の経済学の総称として言われています。

そして、近代経済学はミクロ経済学マクロ経済学に大別されています。

  • ミクロ経済学

 既に見てきたように、ミクロ経済学の特徴は、①売れ残り(超過供給)や品不足(超過需要)は自然に解消され、②市場全体の需要と供給は一致するというところにあり、「セイの法則」の特徴を色濃く残しています。

  • マクロ経済学

 マクロ経済学とは、国や特定経済圏といったマクロ視点から、政府、企業、家計という経済主体の動きを明らかにし、貧困や失業を減らし、人々が豊かに暮らしていくための解決策を考察する学問を言います。

 古典派経済学では、供給が自ら需要を生み出して市場は均衡し、完全雇用が実現されるというセイの法則が信じられていました。しかし世界恐慌後、イギリスの経済学者、J・M・ケインズは1936年に『雇用・利子および貨幣の一般理論』を発表し、市場に任せただけでは失業が発生し、政府による適切な市場介入(財政支出と減税)で有効需要を創出する必要があると提唱しました。このケインズ革命以後、1970年代までケインズ経済学がマクロ経済学の主流をなし、各国の経済・財政政策に大きな影響を与えてきました。

 しかし現在では、ケインズ経済学に新古典派経済学を加え、賃金や物価の硬直性などの市場の失敗が起こる要因を重視する新ケインズ経済学(new Keynesian ecomonics)が台頭してきています。

 経済学の発展には目を見張るようなものが感じられますが、しかしそこには大きな課題を抱えてもいました。

 そのお話は、次回で述べることにしたいと思います。(続き)

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