日本の壁はどこに?


Ⅰ バブル後の政策

 この20~30年は、デフレ経済が日本を覆い、日本の国力は大きく縮小、減退をしてきました。その間、日本の社会・経済構造はどう変化、また成長してきたのでしょうか。

 多くの企業の栄枯盛衰がこの期間に刻まれています。

 バブル経済崩壊後のデフレ経済の中で、実に多くの大企業が倒産し、成長率の鈍化に苦しんできました。

 それでは、バブル経済崩壊後の主な企業の倒産を見ておきたいと思います。

ここでは特に大企業に絞って、倒産の事例を見ていきたいと思います(表1参照)。

表1 バブル崩壊後の主な倒産企業

 バブル崩壊後、日本経済は北海道拓殖銀行や日本長期信用銀行などの大銀行の破綻を筆頭に、住専、証券会社など、有名な企業が多く倒産し、日本経済は大型倒産のラッシュで、悪い意味で沸き返っていました。

 当時、日本長期信用銀行に就職できるのは本当にエリートであって、私のようなものには到底手の届かない高値の花でした。

 しかしその長銀が倒産という知らせを受けたときには、本当に天地がひっくり返るほどの衝撃を受けました。それでは、時代区分毎に、見ていきます。

1 1989~1999年の時代

 この経済が大混乱のときの総理大臣を掲げれば、大企業倒産が多かった1989~1999年時代、最も内閣の交代が多く、社会・政治・経済が大混乱を起こしていたことが類推できます。

 こうした混乱の中、当然税収も落ち込み、財政はひっ迫することになります。そのために1997年4月、財務省の強い進言で当時の橋本首相は消費税を3%から5%に引き上げますが、景気は大きく落ち込むことになります。

2 1999~2008年の時代

 急激な景気後退を受け登場するのが「構造改革なくして景気回復なし」をスローガンにした小泉純一路首相で、2005年10月に日本道路公団・首都高速道路公団・阪神高速道路公団・本州四国連絡橋公団の四公団、そして石油公団住宅金融公庫交通営団などの特殊法人の民営化が行われました。

小泉首相は「官から民へ」を錦の御旗に小さな政府を目指す改革に乗り出し、国と地方の三位一体の改革(「中央から地方へ」)を含む「聖域なき構造改革」を打ち出し、とりわけ持論であった郵政三事業の民営化を「改革の本丸」に位置付け、改革を断行します。

そして大学でも「聖域なき構造改革」の下、2004年国立大学は法人化され、財務省の財源難という主張の下で、運営交付金制度のよって運営交付金の年1%の削減が始まり、各大学で研究費がカットされていきていきます。

 まさに構造改革とは、財源を捻出するための手段であり、この時期、景気回復のための財政措置は取られなかったことを意味しており、日本の経済成長が頓挫し、社会が大きくデフレの方向に進まざるを得なかったことを示すものになっています。

 多くの人は、この構造改革に拍手喝采を送りますが、実はこれが緊縮財政を擁護するものであり、日本経済をデフレへと進めることになります。

3 2009~2019年の時代

 小泉首相時代が財源を生み出すための構造改革であり、そこでは研究開発までも犠牲にして財源を導き出そうとするもので、経済の活性化、経済成長をもたらす設備投資、研究開発投資のような考えはありませんでした。

 そして緊縮財政の極めつけは、その後の民主党政権時代の、歳出削減を目指す「事業仕分け」に邁進するところにあります。

 2009年11月、蓮舫氏は「仕分け人」として次世代スーパーコンピュータの予算削減を決定したのですが、この時「世界一になる理由は何があるんでしょうか?2位じゃダメなんでしょうか?」が、つとに話題になりました。

 この発言には、日本の技術開発力を強めることよりも、財源確保のためには技術開発は二の次三の次に位置するということを暗に示すもので、日本の経済発展、技術発展を根本から変えるインパクトを持っていました。

 いずれにしても、経済成長、国力増進を狙うものではなく、財務省が唱える財源確保、歳出削減を実現させるための政策、指導に順応したものであり、日本の成長は停滞することになります。


 こうした日本の閉塞感を打ち破るために登場したのが、安倍晋三内閣であり、「大胆な金融政策」「機動的な財政政策」「投資を喚起する成長戦略」の「3本の矢」を掲げ、従来の構造改革に成長戦略を加え、日本経済は明るさを取り戻そうとした矢先に消費増税が財務省の強い要望により2度実現し、日本の景気回復に水を差し、デフレ経済脱却を難しくさせることになりました。

 消費増税が何故景気を冷やすのか、その原因にはあまり関心がないように思われますが、消費増税が経済をデフレへに導くことだけは理解しておく必要があると思われます。

 図式を簡略化するために経済は「消費者」と「生産者」の二つの経済主体からなっていると仮定します。消費増税とは、消費者の所得Aから、税金をTだけ抜き去り、税金が無かった時の所得Aよりも、消費増税後は、A―Tと所得はTだけ減少することになります。  このことが経済にどのような影響を与えるか、簡単なミクロ経済学(価格理論)を紹介します。

 図1で、縦軸は価格P、横軸は需給量Qを表します。所得がAの場合の需要曲線はD1 で、所得がA―Tに減少した場合の需要曲線は左にシフトしたD2 になります。供給曲線はSですから、所得が変化して需要曲線がD1 からD2 にシフトすると、その交点はO1 からO2 に移動し、このとき、需給量はQ1 からQ2 に減少し、価格はP1からP2に低下します。

 このことは、次のことを説明しています。すなわち、消費税でTだけ税をとれば、需給はO2 で均衡し、需給量はQ2で均衡することになり、Q1からQ2に需要量は減少し、経済の縮小につながります。そして、価格も低下することになります。

 こうして、消費増税は経済を縮小化させ、価格は低下し、まさにデフレの様相を帯びることになります。

 巷では、いや違う、徴収した消費税は福祉で高齢者の年金に利用されるから、高齢者がそれを使えば結局のところ消費減退は起こらないと言いますが、高齢者は余分の資金は貯蓄に回し、青壮年が使うような金銭の使い方をしません。タンス預金、銀行預金としてより高齢になったときの安全資産として蓄えられ、市場に出てくることはあまり無いものと考えられます。

 こうして、消費税が多く徴収されればされるほど、経済は委縮し、デフレ傾向に拍車をかけるものとなります。

 安倍政権の成長戦略に消費増税は逆行するものでした。

4 その後の政権

 2020年、菅義偉首相が安倍内閣の後を引き継ぎ、そして現在は岸田文雄首相が政権を担当しておられます。

 そして現在、コロナウイルスと合わせて日本は急激な円安に襲われ、またロシア・ウクライナ紛争で資源価格は高騰し、日本一国を見る限り、スタグフレーションの入り口に立っているのではないかと危惧されるものになっています。

表2 内閣の系譜

 政府、財務省は簡単なことを理解しても、頑なに従来からうまく機能しなかった方策を維持し続け、ますます、苦境に陥ろうとしています。

 この政府・財務省の行動、状況認識を私たちはどう捉えれば良いのでしょうか。

 まさに真理・正論、どんな意見も否定し、自分たちの意見だけが正しいとして自分たちの意見をごり押しする、頑なな権力者の姿がみてとれます。

 Ⅱ 原子力

 次に、東日本大震災で起きた原発事故について見ていきたいと思います。

 18425名の死者・行方不明者を出した東日本大震災は、記憶に残る大惨事でしたが、それにも増して驚いたのは、福島第一原子力発電所におけるメルトダウンではなかったでしょうか。

 旧ソ連のチェルノブイリ、アメリカのスリーマイル島の事故は記憶にありましたが、安全と言われていた原子力発電の事故、それも日本で起きるとは誰が想定していたでしょうか。

これを機に、一気に原子力発電所は危険ということで稼働停止措置が全国一斉に取られることになりました。

しかし、同じ東北地方にありながら、宮城県牡鹿郡女川町石巻市にまたがる東北電力原子力発電所女川原子力発電所」は無事でした。

この報を受けたとき、強烈な違和感を感じたのを覚えています。

 “なぜ、女川原子力発電所は無事だったのだろうか。福島原子力発電所より、より震源地に近かったはずなのに、どうして大丈夫だったのだろうか”

 それは後日明らかになりました。「女川原子力発電所」の設備は高台に設置してあったため、震源に最も近い原発ではあったのですが、福島第一原発のような津波の影響を受けることなく、稼働していた全3基とも設計通り自動停止しをして無事だったことを知りました。

 しかし、また疑問が沸きます。「女川原子力発電所」は高台に設置してあったため、福島第一原発のように津波の影響を受けることなく無事だった、とあります。

 「福島第一原発は、津波の被害を受けるほど、そんなに低いところに設置されていたのだろうか。そして低いところに設置することで何が問題になるのだろうか。」

 福島第一原発は通常は35mの高台に建てることになっている発電所を揚水ポンプの能力から台地を削って10mの高さにして発電所を建設したと言います。

 問題は、東京電力福島原発は、竜巻やハリケーンに備えて非常用発電機を地下に置く米国式設計をそのまま採用したことにあったようです。

 その結果、10mの高さを乗り越えて侵入した津波によって海水が建屋下の非常用電源の部屋に入り込み、設備は水没してしまいました。

 地震によって停電が発生しました。この停電によって原子炉圧力容器内に冷却水を送るポンプが作動しなくなり、ディーゼルエンジンによる非常用電源に切り替わりましたが、非常用電源は水没してディーゼルエンジンは作動せず、冷却水を送れなくなりました。これによって炉心を冷やせなくなり、原子炉圧力容器内の水が蒸発によってどんどん減少することになりました。


 地震発生時に制御棒が自動的に挿入されたために原子炉は緊急停止状態となりますが、燃料棒は、核分裂が終焉した後も崩壊熱があり、超高熱状態が長時間継続します。この燃料棒を冷やすための冷却水が不足し、このために炉心の熱が下降しなくなってしまいました。

こうして非常用電源全てが失われ、万が一の時に原子炉を冷却するための電力を確保できず、核融合反応は継続しているために原子炉は高温になり、メルトダウンを起こしてしまうことになりました。

図2 原子力発電所

 皆さんは、この一連の事故の流れから、この原子力発電所の事故は地震、津波等の自然災害によって引き起こされたものだとお考えでしょうか。

 この福島第一原子力発電所の事故は、明らかに“人災”と言えるものです。自然災害によって機器が破損し事故が起きたというのであれば分かりますが、人が注意して防災意識をもって対策を考えていれば防げた災害です。

 これだけの大きな地震、津波の害があったにも係わらず、他の原発には被害がなかったことは、冷静に考えれば、原子力発電所を直ちに廃炉にし、原子力の火を消してしまうということには繋がらず、即廃炉論は暴論と判断できます。

 日本には原子力に因んだ優秀な企業が多く、原子力産業をつぶすことは、これまで培ってきた技術、企業をすべて捨てる、崩壊させることを意味し、日本に多大な損失、産業の後退をもたらします。

 そしてエネルギー資源が高騰し、脱炭素が全世界で叫ばれている現在、原子力の火を消すことには大きな可能性を消すことにつながります。

 今私たちの世代に原子力の火を消す権限はありません。現在は出力が従来型の1/20程度で安全性が高い小型モジュール炉(SMRSmall Modular Reactors)が開発されており、原子力発電技術も日進月歩にあります。 

 可能性がある原子力の今後は将来の子供達に引き継ぎ、彼らが原子力の帰趨を判断できるように、支援することではないでしょうか。

 今、原子力の火を消すことは、後世の子孫に大きな負の資産を残すことになるのではないでしょうか。

 この一連の原子力騒動から、全ての悪は原子力にあると即断し、“原子力・原子力発電”に悪いことは全て押しつけ、原子力を忌避する日本人、政府の思考はどのようなものでしょうか。日本人には理性的判断ができないのでしょうか。

 未来を見る目を持ち合わせないのでしょうか。

Ⅲ 憲法改正とスパイ防止法

 憲法改正についてはこれまで何度も触れてきたので多くを言う必要はありませんが、従来国民の多くは改憲の必要性はないことを誇りにしてきたように思います。

 政府も改憲論議には後ろ向きだったような気がしています。

 それでは何故国民の多くは改憲に後ろ向きだったのでしょうか。

憲法の序文の一節に、「日本国民は恒久の平和を念願し、・・・、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持しようと決意した。」とあるように、まず前提条件として、日本を巡る世界は「公正と信義」に篤い国々であり、これらの国々を信用することから日本国憲法は成り立っています。

そして、この前提条件に立てば、憲法9条の

①日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

は、公正と信義の国々に囲まれている日本にとって、世界に平和をもたらす憲法として、世界に誇る憲法と考えてよいように思われます。

さて、そこに何を私たちは見ることができるのでしょうか。

そこでは、「日本が何もしなかったら、周囲の国々も日本に何もしない」という、「性善説」に立った考えが根底にあり、「日本が何もしなくても、日本に隙があれば侵攻する」という、「性悪説」の考えはありません。

「公正と信義」の世界であれば、「性善説」に立った日本の憲法は世界に誇り得る素晴らしい憲法だと思われます。

しかし、世界が「公正と信義」に劣り、「性悪説」の世界だった場合には、日本の憲法はただ、常軌を逸した、国民の生存権を否定した「無能」な憲法と呼ばれ、ただの憲法ということで終わることになると思われます。

現実は、国連の安全保障理事国の国でも、侵略、人権侵害があり、他国の領土を虎視眈々と狙っている世界であり、世界は「公正と信義」の世界ではなく、「性悪説」で成り立っている世界です。

世界がこうした「性悪説」に立った世界であることに背を向け、国民を守ることのできない「憲法」を頑なに擁護しようとする国民意識は、一体どこからくるのでしょうか。

日本人には、他人は自分と価値観、信条は同じで、自分が他人に善行を施せば、他人も自分に善行を施してくれるという考えが根底にあり、戦争を放棄すれば、他国も戦争を放棄するという、淡い期待が改憲を拒んでいるのではないかと推察されます。

しかし、それは一方的な思い込みであり、世界はそんなに甘いものではありません。

こうした現実を見ようとせず、またこうした考えが国民を危うくさせていること気づかないで、声高に自分の主張を叫び続けるという、「無知な独善的思考」が日本人にはあるのでしょうか。

悲しいことですが、ここに日本が先に進めない壁を見る思いがします。

「スパイ防止法」

世界で「スパイ防止法」がないのは日本だけです。

「スパイ防止法」とは、どんなものでしょうか。

「スパイ防止法」とは、国の平和と安全を守るためにスパイ行為を取り締まる法律になります。

 スパイ行為とは、外国に通報することを目的に防衛秘密を探知、収集して、それを外国に通報することをいいます。

諸外国ではスパイ罪はその国の最高刑(死刑のある国は死刑)で臨んでいます。

因みに、各国のスパイ防止組織を掲げると、下記のように、最高刑罰としては「死刑」が多いような気がします。

・アメリカ(CIA、FBI:連邦法典794条=死刑

・ロシア(KGB、GRU:刑法典64条=死刑

・イギリス(MI5、MI6:国家機密法1条=拘禁刑

・フランス(DST、DSPD、DGSE:刑法72・73条=無期懲役

・中国(反革命処罰条例=死刑

・北朝鮮(刑法65条=死刑

「スパイ防止法」案は、1985年の国会で議員立法として提出されましたが、当時の野党である、社会党、公明党、民社党、共産党、社民連のすべてが、反対し、三大紙もすべて反対でした。

スパイ事件では、戦前・戦中の「尾崎・ゾルゲ」事件が有名ですが、現在では中国が大々的に行っており、その影響は計り知れないものになっています。

マネートラップ、ハニートラップ、情報トラップ、孔子学院等々、その手段方法は私たちが想像する以上に複雑多岐にわたっており、様々なスパイ活動が行われています。

「スパイ防止法」とは、国の平和と安全を守るためにスパイ行為を取り締まる法律になりますが、法律制定の反対は、〇国民の権利制限につながる。場合によっては、大幅な権利制限が合法となりかねない。 〇報道の自由が損なわれる可能性がある、などですが、国の平和と安全を守るためであれば、どちらが大切か自ずとわかりますし、また報道の自由が束縛されることは法律にしっかりと明記すればすむことです。

こうした判断思考、何が本当に大切かが分からない日本の国会議員、またそれに賛同する多くの国民の声を聞くとき、日本人は、ことの本質、論理が分からない国民なのか、大局よりも自分たちだけの権利・権限を主張し、結果日本全体を危険な目に遭わせる「無責任国民」なのか、多くの疑念が湧いてきます。

 1986年に自民党が発表した「スパイ防止法」案の一部を巻末に掲げます。特に過激なものではないのですが、こうしたスパイ防止法案にすら反対の狼煙をあげ、結果、アメリカ、イギリス等との国際的情報交換を難しくし、日本を孤立化の方向に向かわせています。

 また、日韓議員連盟、日中友好議員連盟に所属している議員、また中国詣での議員の半数は連盟からお金をもらったり、何らかのトラップに巻き込まれており、「スパイ防止法」制定には反対をすると聞いています。

もしもこれが本当なら、日本のトップ層が売国運動に走っていることになり、日本の衰退は目に見えるようです。

Ⅳ むすび

 こうして日本の特徴に焦点を当てて見るとき、日本の社会・経済的特質が見えてきます。

 20~30年に渡って続く財政均衡論から見えてくるのは、「日本の高慢さ」という特徴ではないでしょうか。周囲、下野からの声には耳を貸そうとしない政府の態度には、「謙遜」さはなく、ただ「高慢」さが見えてきます。

 そして原子力が大震災後、一斉に休止、廃炉に向かった姿勢には、たしかに一時的には大きな災害、人命的損害から感情的な意見が出るのは当然として、しかし多くの識者までもが同調して廃炉、休止を大々的に述べるに至っては、総合的な観点、未来を含めた大局観から原子力を見ることができない国民性を痛感しました。

 また憲法改正論議からは、自分たちが正しいことをすれば、周囲が認めてくれるという、独りよがりの国民性が感じられ、国家間の紛争は日本が何もしなければ問題にならないという、唯我独尊的な雰囲気が感じられました。

 また、スパイ防止法の制定論議からは、利権集団の売国が見えてきます。

 

日本が長期に渡って停滞の道を歩む背景には、それぞれ政策的課題があるのかもしれませんが、実は日本が持つ「間違いを間違いと認めることができない国民性、そして何より忌避すべきは狭い枠の中で行動し、真理、正論を認めない頑なな態度、大局を見ることができない高慢かつ唯我独尊的で、しかし利権には目ざとく、売国も辞さない利己心」にあるのではないかと思われます。

 というよりも、日本を導く国会議員・政府がそうした特徴を色濃くもっており、それが日本を長期停滞に追い込んでいる要因ではないかと思われます。

 そしてもう一点、致命的な欠落事項は、課題解決能力が無いことです。高慢、利権に目ざとくても、日本の課題を解決する能力があれば良いのですが、「大局観がなく、高慢・唯我独尊的かつ利権に目ざとく売国もいとわない」のに、日本の抱える課題を解決する能力に欠けている所に、致命的な欠陥を感じます。

 今日本に求められる人材は、「大局観があり、謙遜かつ課題解決能力があり、日本に貢献を誓う人物」ではないでしょうか。

 皆さんのご活躍を、心からお祈りしています。

防衛秘密を外国に通報する行為等の防止に関する法律案

1986年自民党案

第一条目的
 この法律は、防衛秘密の保護に関する措置を定めるとともに、外国に通報する目的をもって防衛秘密を探知し、若しくは収集し、又は防衛秘密を外国に通報する行為等を処罰することにより、これらのスパイ行為等を防止し、もって我が国の安全に資することを目的とする。

第三条防衛秘密保護上の措置
 国の行政機関の長は、その取り扱う防衛秘密に属する事項又は文書、図画若しくは物件を防衛秘密として指定しなければならない。ただし、この指定に当たっては、いやしくも防衛秘密に属しないものを指定するようなことがあってはならない。
2 国の行政機関の長は、前項の規定により防衛秘密として指定した事項又は文書、図画若しくは物件について常に点検を行い、我が国の防衛上秘匿する必要がなくなったとき、又は公になったものがあるときは、速やかに、その指定を解除しなければならない。
3 国の行政機関の長は、政令で定めるところにより、防衛秘密について取扱責任者及び取扱者を定め、標記を付し、関係者に通知する等防衛秘密の保護上必要な措置を講じなければならない。
4 前項の措置を講ずるに当たり、国の行政機関の長は、防衛秘密を国の行政機関以外の者に取り扱わせる場合には、これを取り扱う者に対し防衛秘密であることを周知させるための特別な配慮をしなければならない。
5 防衛秘密を取り扱う者は、これが漏れることのないよう最大の注意をしなければならない。

第四条罰則
 次の各号の一に該当する者は、無期又は三年以上の懲役に処する。
一 外国(外国のために行動する者を含む。以下この条及び次条において同じ。)に通報する目的をもって、又は不当な方法で、防衛秘密を探知し、又は収集した者で、その探知し又は収集した防衛秘密を外国に通報したもの
二 防衛秘密を取り扱うことを業務とし、又は業務としていた者で、その業務により知得し、又は領有した防衛秘密を外国に通報したもの

 


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