“憲法第9条”と“専守防衛”


 ロシア・ウクライナ紛争が日本の憲法改正論議に拍車をかけているように思います。そこでよく出てくる言葉に「専守防衛」があり、「相手から武力攻撃を受けたとき初めて防衛力を行使することができる」という内容であり、また「他国での武力行使は認められない」というような議論等々が様々にされているように思われます。

 ウクライナは、2021年2月にはロシア軍10万がすでにロシア・ウクライナ国境沿いに配置され、ロシアのウクライナ侵攻の危険についてアメリカから何度もウクライナに警告があったといいます。しかしウクライナはその情報を信用せず、ロシアのウクライナ侵攻の2022年2月24日の2日前になって、ようやくロシアのウクライナ侵攻への対策をとり始めたといいます。

 何故、対応が遅れたのでしょうか。もしも事前にロシアのウクライナ侵攻への対策が取られていたら、対戦車用地雷やトーチカなどの整備が進められ、簡単にはロシアがウクライナに侵攻できなかったと思われますが、現実は何の対策も取られず、ロシアのウクライナ侵攻を容易にすることになりました。

 ウクライナはロシアの侵攻に対して専守防衛に徹し、火器についてもロシア本国を攻撃できる長距離砲の所有はなく、したがって戦いは基本的に国内での戦いになります。

 ここで、ウクライナの憲法第17条を見ておきたいと思います。

『第17条 主権及び領土の保護、経済及び情報の安全性の保護は国の最重要機能であり、国民に対する責任でもある。ウクライナの防衛、主権の保護及び不可分にして不可侵である領土の防衛はウクライナ軍に一任する。国の保安及び国境の防衛は、それぞれの軍組織及び法執行組織が行い、その組織及び活動は法によって定める。ウクライナ軍及びその他軍事集団は、国民の権利と自由を制限してはならず、また憲法を無視した行動は禁ず。国は、ウクライナ軍及びその他軍事集団に属するものとその家族を社会的に保護する責任がある。法に反する軍事行動は認めない。他国の軍隊の駐留は認めない。』

 憲法第17条では、ウクライナの防衛、領土の防衛が基本であり、他国への侵攻・侵略を規定したものではなく、必然的に専守防衛的な対応が中心になるような文言になっています。

 ロシアとウクライナは同じスラブ民族に属し、戦火を交えるものではないと思うのですが、ウクライナが旧ソビエト連邦を離れて西側に就くことを恐れたプーチンが独断で侵攻を開始し、ウクライナを占拠、ロシアへの帰属をはっきりさせようとするところにこの侵攻の意図があるように思われます。

 ここで、私たちが驚くのは国連安全保障理事会のメンバーであるロシアが、国際法規を無視してウクライナに侵攻したことであり、このことは現国連組織が機能しなくなったことを意味しており、侵攻する側の都合により、他国への侵略が正当化されることを意味することになりました。

 現在のロシア・ウクライナ紛争の状況は、専守防衛に徹したウクライナの領土内での戦いになっており、兵士のみならず、ウクライナの一般市民の方々から多くの犠牲者が出ていることに戦慄を覚えます。

 日本憲法の序文と第9条を見ます。

日本国憲法の序文:

 『日本国民は正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために諸国民との協和による成果と主権在民と共和と自由を確保し、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言しこの憲法を確定する。

・・・・・・省略・・・・・・

日本国民は恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持しようと決意した。

われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。

・・・・・・省略・・・・・・

われらはいづれの国家も自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は普遍的なものであり、この法則に従ふことは自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。』

日本国憲法第9条:

①日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

ここで序文に、

  • 平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持。
  • 専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会
  • 政治道徳の法則は普遍的なもので、この法則に従ふことは各国の責務

とありますが、今回のロシアのウクライナ侵攻(また中国のチベット、ウイグル弾圧等)によって、日本の憲法が前提としている「平和を愛する諸国民の公正と信義、専制と隷従、圧迫と偏狭を除去しようと努める国際社会、普遍的政治道徳の法則」は踏みにじられ、憲法9条を施行する前提条件が崩れ去ってしまいました。

すなわち、                                             

  • 公正と信義が信頼できない
  • 専制と隷従、圧迫と偏狭を容認する国が存在する
  • 普遍的な政治道徳の法則に従わない国が存在する
  • ①、②、③を満たす安全保障理事国が大々的に国際社会に現れてきた以上、序文、憲法9条、その他の条文の改正も必然的に検討されなければならいと思われます。

 特に憲法9条は、国体、国民の命に直結するものだけに、至急現在の国際社会に合わせたものに改正する必要があると思われます。

ブダペスト覚書は、1994年12月5日ハンガリーの首都ブダペストで開催された欧州安全保障協力機構会議(OSCE)で、アメリカイギリスロシアの核保有3ヶ国が署名した覚書で、内容は、ウクライナベラルーシカザフスタン核不拡散条約に加盟したことに関連して、協定署名国(アメリカ・イギリス・ロシア)がこの3ヶ国の安全を保障する、という内容のものでした。

しかし、今回のロシアのウクライナ侵攻でブダペスト覚書は破棄され、条約は一方的に力の強いものによって破られるということが明らかになりました。

 ブダペスト覚書で自衛権を担保に核武装を解き、諸外国との協調外交によって自国の安全保障を守るというウクライナの国是はいとも簡単に破られた様子を私たちは目の当たりにしました。

今話題になっている「専守防衛」は、ロシアによる一方的侵略と多大な被害、一般市民の死亡から、憲法9条は国を守ることはできないことが白日の下に明らかにされました。

「専守防衛」は、1954年に自衛隊・防衛庁が発足し、1955年の杉原荒太防衛庁長官の国会答弁で最初に使われ、その後、中曽根康弘防衛庁長官時の昭和45年の「防衛白書」で、正式用語として記載されます。

1986年の防衛白書で、「専守防衛」とは、相手から武力攻撃を受けたとき初めて自衛のための防衛力の行使可能、自衛に必要な最小限のものに限るなど、受動的な防衛戦略と記載されています。

しかし、「専守防衛」の文言は憲法9条にはありません。政府の拡大解釈によって日本の防備の手足を縛るような形のものになっています。

世界では、侵攻してきた敵を自国の領土内で軍事力で撃退することは国土が戦場になるため被害も大きく、したがって、可能な限り自国の領域外(他国内)で撃退することが一般的です。

「専守防衛」に徹し、国内で多くの民間人の死亡、インフラの破壊を経験したウクライナは、未来の日本を象徴しているのかもしれません。

従来日本国憲法の“護憲派”は、「憲法9条があるから平和が守られる」と言っていましたが、「ロシアに憲法9条のような憲法が無かったから、戦争になった」という論理のすり替えが行われ始めています。

ではロシアに、憲法9条のような、侵攻・戦争に否定的な憲法は無いのでしょうか。

ロシア憲法第87条第2項で、「ロシア連邦に対する侵略または直接的侵略の脅威がある場合、武力行使を認める」という事実があり、ロシアにも侵略戦争を否定した「平和憲法」があります。

しかしいずれにしても、様々なプロパガンダで侵略・侵攻を正当化することで、「専守防衛」を頑なに遵守していても、それは侵略者のプロパガンダで、いとも簡単に“悪”のレッテルに塗り替えられます。

現在のプーチン大統領の支持率が80%とは、驚異的ですが、それはネオナチ・ウクライナというプロパガンダの成果といえるものになっています。


 翻って、日本の周辺にはロシアよりももっと強力で、拡張主義の大国がおり、さらに核開発、大陸間弾道ミサイル開発に精を出している国も存在します。

彼らの主張はこじつけでもなんでも、それを正当化して口実に利用し、侵略の道具に使うという、ロシアよりも遥かに脅威の国々です。彼らにとって、侵略戦争は存在しません。それは彼らに都合の良い物語を作成し、それに基づいて自国の領土の奪回だから侵略には当たらないという理屈をでっち上げ、侵略の道を歩みます。

そこでは、

  • 公正と信義
  • 専制と隷従、圧迫と偏狭
  • 普遍的な政治道徳の欠如

が常態であり、日本がたとえ公平と信義、普遍的な政治道徳に基づいて「専守防衛」に徹したとしても、それは弱さの象徴として取られ、日本国内への侵攻、多くの国民の命を犠牲にして、国は破壊されることに繋がります。

日本は、今回のロシア・ウクライナ紛争をよく理解し、国際社会は日本が描くようなユートピアではないことを理解し、憲法改正に進むことが必要かと思われます。

いずれにしても、戦後いち早く経済復興を遂げ、高度経済成長を実現した日本に、表立って対抗できる勢力はアメリカを除いて存在しませんでした。

そのために、日本は大きな戦力を持たないでも、十分世界でやっていくことができました。

しかし経済活力が落ち、国力が大きく低下している現在、日本に変わる巨大勢力が、広い地域を核心的利益として戦争も辞さないと脅しをかけている現在、日本という国体維持、日本国民の生命・財産の保証を確保できる「新憲法」「改正憲法」が求められるものになっています。

国民全員で、日本が自立でき、かつ世界から必要とされる国にするための「新令和の憲法」を作っていけたらと切に望んでいます。


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