日本を愛した“アインシュタイン”


 1879年3月生まれの43歳になった“アインシュタイン”は1922年10月、11月9日にノーベル物理学賞受賞の知らせを受けるのですがフランス・マルセーユ港を出港し、11月17日、日本神戸港に到着します。

 日本で熱烈な歓迎を受けた“アインシュタイン”は全国各地で講演活動の超多忙な日々を送りますが、その傍ら、上野音楽学校の演奏会への招待、また天ぷらやすき焼きなどの日本料理を体験したりと日本滞在を満喫します。


 日本名所の京都や奈良、また日光東照宮など各地を訪れ、そこで日本の建築様式や自然に感嘆し、帰国直前には赤いハチマキで”餅つき”まで体験したとあります。


12月29日、各地で受けた熱狂的な歓迎と尊敬の眼差しを胸に、アインシュタインは門司港より帰国の途に就き、43日間の日本滞在を終え船上の人となります。

アインシュタインは友人にあてた手紙の中で「私は日本と日本人に魅了されています。・・・この日本での滞在は私の人生の中で最も美しい体験の一つとなりました」と書いています。

神戸に上陸したときアインシュタインは記者会見で、来日の目的は「1つは、ラフカディオ・ハーンなどで読んだ美しい日本を自分の目で確かめてみたい、とくに音楽、美術、建築などをよく見聞きしてみたい、そして二つ目は、自分の使命として科学の世界的連携によって国際関係を一層親善に導くこと」と答えています。

アインシュタインは来日する前から日本への大きな夢と期待を抱いていたことが分かります。

 離日の前日、『大阪朝日新聞』は彼の日本国民への感謝のメッセージを掲載しました。
『予が1ヶ月に余る日本滞在中、とくに感じた点は、地球上にも、また日本国民の如く謙譲にして且つ篤実の国民が存在してゐたことを自覚したことである。世界各地を歴訪して、予にとつてまた斯くの如き純真な心持のよい国民に出会つたことはない。又予の接触した日本の建築絵画その他の芸術や自然については、山水草木がことごとく美しく細かく日本家屋の構造も自然にかなひ、一種独特の価値がある。故に予はこの点については、日本国民がむしろ欧州に感染をしないことを希望する。又福岡では畳の上に坐つて見、味噌汁も啜つてみたが、其の一寸の経験からみて、予は日本国民の日本生活を直ちに受け入れることの出来た一人であることを自覚した。』

 そして、「日本における私の印象」というエッセイで(杉元賢治訳)、
  『もっとも気のついたことは、日本人は欧米人に対してとくに遠慮深いということです。我がドイツでは、教育というものはすべて、個人間の生存競争が至極とうぜんのことと思う方向にみごとに向けられています。とくに都会では、すさまじい個人主義、向こう見ずな競争、獲得しうる多くのぜいたくや喜びをつかみとるための熾烈な闘いがあるのです。・・・
 しかし日本では、それがまったく違っています。日本では、個人主義は欧米ほど確固たるものではありません。法的にも、個人主義をもともとそれほど保護する立場をとっておりません。しかし家族の絆はドイツよりもたいへん固い。・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

日本には、われわれの国よりも、人と人とがもっと容易に親しくなれる一つの理由があります。それは、みずからの感情や憎悪をあらわにしないで、どんな状況下でも落ち着いて、ことをそのままに保とうとするといった日本特有の伝統があるのです。・・・
 個人の表情を抑えてしまうこのやり方が、心の内にある個人みずからを抑えてしまうことになるのでしょうか? 私にはそう思えません。この伝統が発達してきたのは、この国の人に特有な感情のやさしさや、ヨーロッパ人よりもずっと優れていると思われる同情心の強さゆえでありましょう。』

アインシュタインほど、日本を短期間に理解し、日本を愛した人はいないかもしれません。

1932年、3度目のアメリカ訪問のためにドイツを発ちますが、しかし、翌年にはドイツでヒトラーナチス政権が誕生し、以後ユダヤ人への迫害が激しくなっていったため、アインシュタインがドイツに戻ることはありませんでした。

 戦争を嫌うアインシュタインでしたが、ナチスを倒すために苦渋の決断をします。

 1939年8月、アインシュタインはルーズベルト大統領に、打倒ナチスを胸に原子爆弾製造を急ぐように依頼します。
  しかし、原子爆弾はナチスに落とされることはなく、1945年8月6日、自宅にいたアインシュタインの元に、アメリカ軍による広島への原爆投下の衝撃的なニュースがラジオから伝わります。

日本をこよなく愛するアインシュタインにとって、それはあまりにも惨い、悲しい出来事でした。

アインシュタインは、日本人初のノーベル賞受賞者である湯川博士がアメリカに滞在していた時、湯川博士の元を訪れ「原爆で何の罪もない日本人を傷つけてしまいました。こんな私をどうか許してください。」と何度も頭を深く下げ、号泣したといわれています。

 アインシュタインは深い苦悩の中、もう二度と平和を政治家任せにしてはならない、という結論に至ります。

アインシュタインの平和活動が始まります。

わたしの尊敬する“アインシュタイン”、彼の平和への夢が実現されていけば良いと心から願っています。

アインシュタインの偉大な発明・発見が二度と広島・長崎の悲劇を生むことのないように祈っています。

“アインシュタイン”の心に残る言葉を共有したいと思います。

〇過去から学び、今日のために生き、未来に対して希望をもつ。大切なことは、何も疑問を持たない状態に陥らないことである。

〇空想は知識より重要である。知識には限界がある。想像力は世界を包み込む。

〇学べば学ぶほど、自分がどれだけ無知であるかを思い知らされる。自分の無知に気付けば気付くほど、よりいっそう学びたくなる。

〇偉大な人間は常に、凡人たちの激しい反発に遭遇してきている

〇人の価値とは、その人が得たものではなく、その人が与えたもので測られる。

〇私は、それほど賢くはありません。ただ、人より長く一つのことと付き合ってきただけなのです。

〇知識人は問題を解決し、天才は問題を未然に防ぐ

〇6歳の子供に説明できなければ、理解したとは言えない。

〇ある年齢を過ぎたら、読書は精神をクリエイティブな探求から遠ざける。本をたくさん読みすぎて、自分自身の脳を使っていない人は、怠惰な思考習慣に陥る。

〇真実とは、経験という試練に耐え得るもののことである。

〇人生とは自転車のようなものだ。倒れないようにするには走らなければならない。

〇シンプルで控えめな生き方が、だれにとっても、体にも、心にも、最善であると信じています。


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