―父の日に因んでー
私の父は無口のひとでした。というよりも、いつも仕事が頭の中にあるせいか、家庭での話はまるでありませんでした。ですから、家のなかでの話は自ずと母との話になり、子供の頃の思い出は、ほとんどが母との思い出で占められています。
しかし父との触れ合いが少なかった分、少ない触れ合いは大きな思い出になって今でも鮮明に記憶によみがえってきます。
それは小学校に入る前の頃だったでしょうか、秋の栗拾いで、家族で小さな小川が流れている脇の山道を登り、栗拾いを楽しんだ後、同じ道を帰る途中、小川から出てきたのか、大きな暗黒食の“鉄ガニ(地元ではそう呼んでいました)“が山道を横切っているのが目に入りました。大きさは直径が約10~15cmくらいで、ハサミには毛がビッシリと生えており、大きなハサミでしたからオスのカニだとすぐ分かりました。
大騒ぎになりました。さー捕まえようと思うのですが、大きなハサミが怖くて誰も捕まえられません。カニもサッサと逃げれば良いものを、こちらを威嚇するようにハサミを広げてこちらを見ています。
そこで誰だったか忘れましたが、タオルをカニに被せ、タオルをカニに挟ませました。あの大きなハサミがタオルを挟んでいるのをみて、安心してあのカニを押さえつけ、父が布にくるんで家にもって帰りました。
家にもって帰ったのは良いのですが、バケツに入れようとしても大きすぎてバケツには入りません。
どうしたかと言いますと、一時、風呂に水を入れて、風呂にカニを入れておきました。
その後のカニがどうなったかは、ご想像にお任せしますが、この一件で私の父を見る目が違ってきたように思います。
今思えば、その時は“大変だ、どうする”などと、大騒ぎするだけでしたが、今思えば、懐かしくもあり、楽しい夢のようなひと時ではなかったかと思います。
そうした数少ない思い出しかない父でしたが会社を定年退職し、一時小さな会社に再就職しましたが、体を壊してそこも辞めたあと、介護施設と家を行き来するようになってから、急に話をするようになりました。
そして思い出したように、私に車を運転させて親戚巡りをするようになりました。母は既に糖尿の気があったために病院に入院する日々が続いていたのですが、父が母の里まで行こうと言い出し、私の母の里は非常に遠方にあったのですが、私の運転で母の里まで行った覚えがあります。
そして、そこで初めて母方の叔父、叔母に会い、驚きと感動に包まれたのを覚えています。
あの無口だった父が、晩年、何かに憑かれたように、私を親戚縁者の下に連れていき(運転は全て私がしました)、私を紹介するとともに、私にその遠い親戚縁者を紹介してくれました。
今私は父のまねごとをして、家系図を作っています。家系図を作りながら、親戚縁者の皆さんのお顔、状況が全く分からなかったのですが、父の親戚縁者巡りで、家系図がより身近なものになっていくような気がしています。
父が先祖の由来、知る限りの先祖の生い立ちなどを私に教えてくれましたが、それを家系図に落とし込んでいます。
家系図を見ながら、私が生を受けたのは、本当に多くのご先祖がいた御かげということが良く分かり、先祖への感謝の念が自ずと湧き出てきます。
6月には父の日がきます。
既に父は他界し、この世にはいませんが、父がいなくなった今、改めて生前父が私に言いたかったこと、残しておきたいことなどが私の脳裏を駆け巡っています。
父が存命であったときに、もっと聞いておけばよかったこと、もっと知りたいことが今山のように出てきています。
しかし、すでに父は他界し、この世にはいないので、全ては霧の向こうのものになってしましました。
子供をこよなく愛する両親が、生きているうちに聞くこと、なすことは、今思えば本当に多くあったことに気付きます。しかし、すでにその時は過ぎてしましました。
心から残念に思います。
父の日です。
父の日が来ても、もう何もしてあげることはできませんが、ただ仏壇の父に、「お父さん、父の日、おめでとう!!」といって、心からの贈り物を捧げたいと思います。
時すでに
父なき後の
父の日に
感謝を捧ぐ
父の霊前
注:画像は全てフリー画像を利用させて頂きました。ありがとうございます。