残念なことに私には事故の記憶がない。事故の発生状況を説明しろと言われても、説明のしようがない。
私が病院のベッドに横たわり、徐々に周囲の状況を把握できるようになった頃、事故の発生状況の説明資料が送られてきた。それは事故の記憶のない私の手におえるものではなく、すぐに保険会社にお願いすることになった。
保険会社も私に記憶がない以上、事故があった相手のみとの折衝になり、一方的な話を聞くだけの中での査定になり大変だったことと思うが、その大変さを乗り越えて事故の査定をされたのは並大抵のことではなかったことと思う。
事故は夜8時半ころ、国道2車線の民家が無く、人気のない山間部で起きた。中央分離帯を越えた私の車と対向車が右側ヘッドライト部分が衝突し、双方の車は一回転し路上に止まった。私の車は大破し、乗っていた私は意識不明の重体ということだった(警察事故班より)。私の記憶は途絶え、意識が戻ってからも事故前後、約半日(12時間)の記憶は消し飛んでいた。
事故のことを全く覚えていない私の代わりに保険会社は東奔西走された。
そして自賠責保険と任意保険の重要性を知ることになる。
自賠責保険会社から事故の状況、私の現状についての聞き取りがあり、私の状況から様々なアドバイスがあった。また、事故現場に何度も足を運び、現場を把握し、私に事故当時の記憶が全くないことから事故が起きた状況まで考えられ、その熱意には頭が下がるばかりだった。
そして自賠責保険会社への被害者の被害者請求、そして被害者と任意保険会社との間の示談等に関して、私が知らないところで多くの折衝があったようである。
私は周囲のそうした動きの間、ほとんど病院、そして退院してもリハビリにいそしみ、何も知らず、また保険会社の努力も知ることはなく、申し訳ないことに日々を安穏に過ごし、また過ごすことができた。
そして警察による現場検証で、私に非があることが明らかになり、県警本部に出頭し、改めて当時の状況を説明され、調書を取られることになった。しかし、ここでも2名の警察官が親身になって調書作成に協力され、2名の警察官によって改めて当時の事故の状況の子細を知ることができた。
事故はタイヤ痕から類推された。時速約60㎞の車どうしの激突はタイヤに異常な摩擦熱を発生し、その熱によって路上にタイヤの摩擦痕が残り、また一部子細な溶融したタイヤの残渣が路面にへばりつくように残り、当時の衝突の激しさがそれによって分かるとのことだった。
警察の調書は検察庁に送られるとのことで、検察庁から後日出頭命令が来るとのことだった。
警察官の話では大変な人身事故ということで、検察庁に出頭し、改めて事故の状況を説明し、調書作成を行うことになる。そして検察官の調書をもとに、賠償額が確定し自宅に連絡が来るとのことだった。
私は事故後意識が回復し、失望と後悔が渦巻く中で多くの人に支えられながら、そして多くの人の優しさに支えられながらここまでこれたことに感謝したい。優しさと励ましこそが人を再起に向かわせる大きな力になることを強調したい。
私は多くのドライバーに伝えたい。保険会社は本当に大切であり、いざというとき本当に頼りになるのは保険会社であると。
そして失意にあるドライバーに光明を与えてくれるのも保険会社、そして警察、検察庁の優しさ・励ましであることを強調したい。